深い意味で繋がり助け合うこと。連携姿勢。
底から押し寄せる何かを必死にこらえるために、日常(こちら)に座っております。
そのため、あちらを少し控えているためにブログ更新が疎かになっております。
物理を動かす動力は、みな回路の順路を変えるだけで力の大きさが変動します。
霊的に見れば、脳の電回も同じです。
ことは順序よく行うことをお勧めします。
助け合う意味を考えます。
有るは無いに等しく、無いものが存在をしている。
動植物達は何を思い、感じ、何を目指し進むのでしょうか。
筆者には目を閉じても感じる到着目標点があり、目では物質的な不具合位置を確認し、目標を目指し進むべき場所を本能的到着点と見定め、左右の中心を進むという固有の空間を有します。
この世に存在を受ける動植物は全て霊的に生きており、霊感とは本能が持つ定めを感じることであると言えそうです。
私達は命という本能の一貫であり、私たちが存在すること。
それ自体が無いものが有ると証明することでり、有無・陰陽の成り立ちを表すと思います。
しっかりと役割を果たすこと。日常日記の続き
兜がバチバチと喧しいものですから、昨日は逆切れまして「貴方を思うがあまり頭を下げて挨拶とお願いを申し出たにもかかわらず、その行為を受けずに暴走を繰り返して危害を加えるのであれば、今の形としての役立ちを果たすことは難しいでしょう。それならば、いっそうのこと、その姿を鉱物の固まりにまるめ戻して新たな思いに生まれ変わった方がいいでしょう。暴走を繰り返すなら私は貴方は要りません。捨てます。」と、伝えました。
今朝はよしよし、しっとりしています。
筆者が霊眼視する思いとは、金色の静電気のような粒子であり、その動きは精子のようでもあります。
行き場のない、煮え切らない思いとは、たどりつきがなく、途中で爆発を起こすため時にこのようにバチバチと音を立てます。ラップオンと言います。
生き物からラップオンを出すことは少なですね。
目、耳、鼻、口、他色々な穴という通気孔循環を持つものは浄化作用があるため起こりにくいのでしょう。
宇宙の構造です。
物は役立つために、果てる為に生まれます。
精一杯果てれば良いだけです。
タイトル思い浮かばす。筆者の日常
昨日は来た兜を床の間に上げ手作り座布団におすわり頂きに筆者は正座で深々く挨拶をしました。
筆者の家族の姓、末の子の名前を思い浮かべながらお伝えしました。
この行動から、贈物の、のし紙の大切さを知りました。
贈物は、贈り主・受け取り主をきちんと定める必要があることも同時に知りました。
これをきちんと交わすことにより、物は迷いなく指名を果たせるのだと思います。
よく、アニメ映画でも物を大切にするようにというメッセージを秘めたストーリーがありますがこのようなことからだと思います。
この世に存在・出現するものは、それぞれの使命・役割を果たせば自然的現象により成仏を果たす仕組みとなっています。
生きる上で真っ当すべき行事です。
今日は珍しく、内職を進めておりません。
思い付くものがありません。
思い付きとは、誰かの思いが自分に寄り付き、それを感じとることによる閃きです。
これも自然的現象です。
あとは、自身が迷いない空間に存在すれば思い付きにより発生した物は、勝手に時間差を経て思いを発した点からの受け取りが発生します。
仕組みがこのような事のようですから、やるべき行事を面倒とは知らずにマイペースにやりながら生きる事が自分を楽にさせるという裏技です。
普通にしていれば、誰もが幸せに成ります。
日常での霊的出来事
昨日、家族が五月に飾る兜を持ち帰りました。
新品ではありません。古い、いつの物かはわかりません。最終的に我が家にたどり着いたようです。
かなり重いもので頑丈な物ですが…
昨夜内職をしていた時のことです。
部屋のどこかから、ポップコーンの弾ける音が幾度もバチバチと鳴るのです。
まぁ、必者は「もー。なに?」みたいな感じで横耳に聞きながら内職を進めていました。
するとですね、今度は気配を感じ始めました。
気配の方向に目を向けますと、そういえば兜が置いてあった訳ですが。
目のない兜と、幾度も目が合う訳です。
その感覚は「生きている」感覚で、内職を進めながら、筆者は生まれて始めて物と会話をしました。
頭がおかしいようでしょう?
筆者自身驚いていますし、少し雑には扱えない恐れ入るような感情が湧いてきます。
兜は、例えますと、刀を四方八方を向いて滅多切りするような乱暴な思いをはなっており「私は役に立つことなく捨てられた」というような思いを伝えてきます。
これはもう、捨てる訳にもいきませんし、追い出すことも酷でならない状況に追いやられました。
昨日、末っ子が何故かこの兜のツノに引っ掛かり身動きが取れなくなっていました。
そして、ふと、数寝を前に筆者は兜を買おうかと迷っていた時があったことも思い出しました。
筆者は、自身に過ちの犯しを受けるような生き道を与えてはいないと思いますし、これも、縁かと思うこととし一旦状況を見る為に兜をまつることとします。
筆者は今まで知りませんでした。
兜は、お守の役目を背負うのですね。
まさか、物が生きるとは。
筆者は兜に伝えてみました。
「ここで役立って尽きてはいかがですか。」
まだ念が強すぎ、我が家との馴染みがありません。
粗末に扱えば何かあるか、足で蹴飛ばせば、足を切断する事故にでも合いそうな気配です。
それより以前、別の神様もおいでになっており、日常の努力を欠かすことは許されませんので、少し投稿がおろそかになっております。
何卒。