出来上がりは発生がない状態です。
見えない世界を知り、学ぶ中で
「許せない」なら経過であり
「反発する」なら経過であり
「あらわす(何かを生む)」なら経過であり
出来上がりとは、全てがひとつと知る中で、どのようなことも私と見ることが出来、貴方を私と知ることも出来、そこに理屈さえもなく
結ばれ一本絆になり、
ただただ何も存在せず、ただただ何も思わずたたずみこなしている。
それが、本来の出来上がり。
あるべき姿だと私は思います。
裏表、それはただの一本まる。○
円でしかなく、
ひねると二つに見え、表裏が出来上がり、
私達がひとつでしかない科学的真相は、ただ単純なこのようなビッグバンの理屈があります。
生き出ているのであれば、一緒懸命に尽くし捧げること。
今生、薄く出会うして一度出会い、言葉を交わすのならば、今生に限らず、来生などの出会い交わりなども持つことのないように。
私は、誰一人とも濃く一秒を終わらせたい人生です。
今日はやたらに整理整頓がしたくなる。
もしかすると、大地がそう考えているのではないのか。
自分の行動・家族の行動さえも、真に受ける必要などなく、整理に励みたいのであれば、それを前向きに懸命に熟し納得をさせること。すること。
私は命であり、大地の一部でしかありません。
深い意味で繋がり助け合うこと。連携姿勢。
底から押し寄せる何かを必死にこらえるために、日常(こちら)に座っております。
そのため、あちらを少し控えているためにブログ更新が疎かになっております。
物理を動かす動力は、みな回路の順路を変えるだけで力の大きさが変動します。
霊的に見れば、脳の電回も同じです。
ことは順序よく行うことをお勧めします。
助け合う意味を考えます。
有るは無いに等しく、無いものが存在をしている。
動植物達は何を思い、感じ、何を目指し進むのでしょうか。
筆者には目を閉じても感じる到着目標点があり、目では物質的な不具合位置を確認し、目標を目指し進むべき場所を本能的到着点と見定め、左右の中心を進むという固有の空間を有します。
この世に存在を受ける動植物は全て霊的に生きており、霊感とは本能が持つ定めを感じることであると言えそうです。
私達は命という本能の一貫であり、私たちが存在すること。
それ自体が無いものが有ると証明することでり、有無・陰陽の成り立ちを表すと思います。
しっかりと役割を果たすこと。日常日記の続き
兜がバチバチと喧しいものですから、昨日は逆切れまして「貴方を思うがあまり頭を下げて挨拶とお願いを申し出たにもかかわらず、その行為を受けずに暴走を繰り返して危害を加えるのであれば、今の形としての役立ちを果たすことは難しいでしょう。それならば、いっそうのこと、その姿を鉱物の固まりにまるめ戻して新たな思いに生まれ変わった方がいいでしょう。暴走を繰り返すなら私は貴方は要りません。捨てます。」と、伝えました。
今朝はよしよし、しっとりしています。
筆者が霊眼視する思いとは、金色の静電気のような粒子であり、その動きは精子のようでもあります。
行き場のない、煮え切らない思いとは、たどりつきがなく、途中で爆発を起こすため時にこのようにバチバチと音を立てます。ラップオンと言います。
生き物からラップオンを出すことは少なですね。
目、耳、鼻、口、他色々な穴という通気孔循環を持つものは浄化作用があるため起こりにくいのでしょう。
宇宙の構造です。
物は役立つために、果てる為に生まれます。
精一杯果てれば良いだけです。