未知 NaKi 道【奏白】SOUHAKU

生命がある意味を筆者なりに書き残します。私は見えない世を心に映し見える世をしっかりと眺めています。苦しみの無い世へと。

今朝、お線香を上げ、手を合わせ黙祷を捧げている間、今までに見たこともないものが浮かび上がっていました。

それは、ヒシの実のような、水草のヒシの種のような形をしており、所々にダイヤのような輝きが埋まっているようであり、色は土色でした。

女性の子宮のようにもありました。

安定、安心したリズムの中に。

人は刺激を求める限り、誠の幸福を手にすることはできません。

刺激とは何か。

遠心力は安定を求めます。
○であるのか。
Oであるのか。

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幸福とは、平凡であり、同じ速度でまわることと読みます。

刺激とは、過酷であり、速度の変化を受けます。

しかしながら、同じ距離の中。

走っては休むのか。

それとも歩き続けるのか。


私は、ぼちぼちと歩きながら、流れる景色をしっかりと見、そして、二度とは同じ過ちなど起こさないように。
しっかりと記憶に残し、見過ごしから起こる後悔という、生まれを起こさないように。


私は遠回りは苦手です。

ぼちぼちとで良いので、やり残しなど無いように。

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中心から外際の距離は一定を、私は好みます。

皆が平等に成るように。
地球もそのように。

シンデレラ

日々が目まぐるしく忙しく、用事を熟しても熟しても、更に次の用を考えてしまうなどの不能な焦りから時間が足りない感覚に襲われる方々が多発しているのではないかと思います。

身(脳)(地)が、心(胸)(天)に移行を初めているため感じる現象です。

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限られた空間の中で次から次へと制裁が訪れる事は多大なストレスとなっていることと思います。

筆者にもこの現象が訪れています。

これをストレスとしない為に、筆者は必ず行うべき事をメモに取り、ひとつひとつ終える事にしています。

それさえ出来れば良い。
余ればゆっくりしよう。
ゆっくりする事が目的ではない。
私は、今日やるべき事を終えれば安泰!


やるべき事を見つければまたメモ。
終わればチェック。

そのような感じで、身はバタバタと走りながらも、1日中鼻歌を歌っている日もあります。


ここで何故か、筆者は毎日のようにシンデレラの物語を思い出してしまいます。

シンデレラは身はボロボロでしたが、心は自由でした。
自分(身)はいつか幸せに成ると信じていました。

ある日、縁という巡り合わせにより心を惹かれる方に出会いました。

ここから、身は幸せの急展開を迎えます。



筆者は、シンデレラは身をコにして遺伝子に纏わる方々の代役を果たし終えたのだと思いました。

沢山の方々が、シンデレラに「ありがとう」と手を降って、天国へ向かったのだと思いました。

シンデレラは生き物も大切にしていました。
シンデレラは憎む事を知りませんでした。
シンデレラは、みんなに見守られていたのでした。


そして、心を自由にしないオキサキは闇へと落ちてしまいました…。

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シンデレラは供養を果たしたと同時に、我が身を置くべき場所に置き、円の歯車が噛み合い身を幸せに当てることが出来ました。

心を縛るオキサキは円を噛み合わせる事が出来ずに身を不幸に当ててしまいました。

天への道を切り開いた者と、地獄への穴へ吸い込まれる者との生き道の違いです。

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これからの時節に大切な事は何かを考えます。

また、それによる人類の動きも視野に入れます。

日々の行いは供養の一貫であり、私の行う事は、大切な誰かのやり残しであることと意識します。



今は辛くても、いずれ、円の歯車が噛み合います。

素直に、正直に、純粋であるば大丈夫です。

オキサキの二の舞にならないように注意します。
これが増えれば空が暗くなります。

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シンデレラは目の前の事が見えなくなるほど懸命に働きました。
自分の心の中に吸い込まれていました。
そこは光の中でした。
夢か現実かの区別もつかなかったでしょう。
だからこそ焦りませんでした。

愛の上には更なる愛の結晶があります。

人は慣れ、不慣れを経験し、当たり前にしていく癖を持ちます。

体内生物の動きに例えますと、それを免疫と例えるのが相応しいでしょうか。
そしてまた、生物は更なる免疫を手に入れようと旅をします。

人に例えるならば、マンネリから更なる刺激を求める旅と言えるのだと思います。

しかし、生物と人との違いはマンネリを私のものとして大切にするかどうかと言うことが問題です。

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そばにあるものこそが、1番大切なものです。

それを制覇し、完全に私のものにしなければ、私は絶対に幸せには慣れません。

私は貴方を愛し、そして貴方は私を愛します。

愛とはやがて、ひとつに成る旅の一貫です。

私と貴方に境目などありません。

今朝、お線香をあげますと、三本の線香がラセン上状と成り、とても美しく上がっていました。

それを見て、筆者は、見えるラセンは、筆者が見えず受け持つ今のわたしであること。
そして、見えぬ方々の思いを引き継いで存在している。との思いを受け、私は、見えぬ存在を束ねここに存在していると確信し、あなた方の思いを今に受け持つことの思いを返しました。

私は一人の人間でありますが、私は紛れもなく先祖と名のある遺伝子の現れであり、このことを忘れるべきでないと強く思いました。

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私と貴方とは何か。

私は貴方であり、貴方は私であります。

優愛

私は私のために懸命です。
貴方も貴方のために懸命です。

それが良いのです。


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私は貴方の為に懸命になりません。
私は貴方の自由を奪いたくないからです。

貴方は私に懸命にならないで下さい。
私は私で精一杯です。


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命の連携とは、時に残酷にも思えるような動きがありますが、それが最善であることを踏まえ、無我夢中となり生存を果たします。

命はなげきを知りません。そして、苦しみも知りません。

そこには、生き残る唯一の決断と知恵を兼ね備えています。

種の遺伝子が絶えることもまた、大なる生命の決断となります。

食われ絶滅するのではありません。中に生きる決意をしたのです。


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私は貴方のことだけを思い、貴方は私しか見えません。

貴方は私を思い、私は貴方しか見えません。


私は貴方を心から愛しています。

そして、貴方も私を愛しています。


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私が全て、貴方が全てです。

幾度も幾度も筆者が書き記します、ねじれが取れた時、裏表がイコールで結ばれないものは存在出来なるなるという、仕組み一環の流れがあります。

裏表のねじれが取れる時。それは神様同士の和解でもあります。

神様同士の和解。それは見える神様(裏)(身)・見えぬ神様(表)(心)が天秤両立している状態でもあります。



この時の流れを迎えることを、人は弥勒の世などと言うようです。



人は、心身を共に添えあう事が大切です。

「人」という漢字は、筆者には、神様と神様が共に支え合い、成り立つ形状に見えています。

別れず合わされば、1。

私たちは1ではなく、本当は2であることを知ることも大切です。

どちらかを優先することを、人は苦とも言い表しておりますが、そのような苦も、いずれ存在が出来なくなる時代に入りつつあります。


私は何故苦しいのかを知るべきです。

私が苦しいのは、私自身の天秤を私が取らないからです。


この世にも、あの世にも、人のせいなどと言うことは一切ない。


このことを、まだ、人類は知りません。


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