喜びとは何を知ります。
何が苦かと知ることが大切です。
この手に握り取る輝き(物質)を私の物と勘違いしてはいけません。
そして、それを纏う物を羨んではいけません。
聖なるものは内から発せられ、誰と同じではありません。
その洗霊が、間もなくも始まっています。
汚れが多ければ多いほど、地は揺らぎます。
引力との兼ね合いです。
どのようにしても、行き着く場所に向かっています。
気持ち。
先日、とても厳しい内容をあてたにも関わらず、それも強く破りこちらの場へ踏み入れて下さり有難うございます。
感謝をしています。
生命は、自分が成り立つことにより、ようやく外に触れることが出来ています。
何かに振り回されるのではなく、自分の遠心力と他人の遠心力との摩擦により何かを生み出す方法が、今後の世の中を救うと筆者は思っています。
どのような信頼できる存在の中でさえ、決して潜ってはいけません。
自分というかけがえのないものを信頼し、しっかりと存在させることにより、よりよい形成が組み上がっている。
それが、真相であることを、誰もが理解をするべき。
と、思っています。
どんな内容を発信するに関わらず、それに振り回されることなくご自分の足音を鳴らす方々を感じる時には、しっかりと崩れることのない未来を、今に感じることが出来、安心致します。
このような時代に入りますと、表面のがらくたが剥げる模様が痛々しくも残酷ですが、必ず内成るものを開花させることを目差したいと思っています。
筆者にとりましては、すでに終わりを迎えた命です。
自分自身の為に使える思いの余裕幅など一切ございません。
後は、大自然の働きを共有し、生かされる間に恩を返したいと思っています。
何も憎めない方が良いです。
先日、宮島に向かった日、胸がなんとも言えない高鳴りをし、それは気持ちの良い感覚でした。
そして今日は、あの余韻が押し寄せ高のように長い感覚でゆったりと胸が高なっています。
何が人々に幸せをもたらせるのでしょうか。
この肉体を改善する、1番近い存在は太陽です。
誰も逆らえません。
どのようなことがあっても、憎むことなどは出来ません。
太陽は、真理への遭遇です。
思いを届ける場所は、私自身を透して。
私達はいつの時も、まるいエンの中で刺激を受けながら生まれています。
すべては縮図、縮図になっており、私達がお腹に宿る赤ちゃんを思うように、私達も思われています。
慕うべき素質は、すべて備わり、私達は存在します。
脳と電磁波。筆者的に。
私達の発達の促進をさせている太陽。
筆者の霊的視線では、フレアは脳に革命的な進化を与えるために必要な周期を踏まえていると思っています。
フレアを受けることによる、人類の変化を冷静な視線で見つめる必要があると思います。
フレアは、かたく繋がりにくくなった脳線回路に刺激を与え、第三の目を開きやすくする働きがあるようにみえます。
これからの太陽動き、大地の動き、人類の変化。
恐れることではなく、11年以降先の世界を喜べる形として迎えることが出来ればと思っています。
太陽フレアと文明の発達とは、どのようなものだったのでしょうか。
刺激良く受ければ、記憶の蘇りや、胎児であれば2才半ば~3才半ば頃に閉ざされる前期記憶を閉ざすことがない人類も出てくるかも?と感じています。
筆者は、事故などで記憶を失った方々も、この電磁波を上手に受ければ思い出しやすくなるのではいかとも感じています。
自分が自身に問いかけ始める時期が来たように思います。
伸の美しさと正しみ。
このブログのような、天と地・生と死の営みを言葉に映すことが正しいみではありません。
このブログのような、不幸を技に取り、ただ語り尽くすことが美しさではありません。
自然な美しさ、正しさは、左右に揺さぶられながら技を成すことではないのです。
本来の営みは、善悪が混在し、ひとつであることなのです。
何を技にするかではなく、持ち備える技を最大限に生かすことが世界を寄り良く繋げていきます。
苦しみの先に。
求めることにより得られることは、学びによる真実です。
捧げることにより得られることは、広大~無限な愛です。
難が起こることは、守られている証です。
気づく為に、更に大きくなる為に、私達は今ここに現れています。