魔物の生まれる訳と先祖供養の大切さ。(編集を致しました)
この世界には目には見えませんが、様々なものが存在しております。
例えばさ迷う霊、妖怪、魔物。
このようなものもおりますが、さて、皆様はこのようなものをどのようにお思いでしょうか。
筆者(私)は、このようなものも仲間であり、我が子と何ら変わりなく必要とし、大切に思っております。
さ迷う霊は何故存在するのでしょうか。
それは
ただ、死後、天国へも地獄へも手が届かなかった。だけであります。
では、何故このような状況・どちらへも向かうことが出来ない?のでしょうか。
それは
人生の歩みに悔やみを残し、更には死後 身近に供養の思いを受ける存在が無かった。からであります。
人生とは、各人共々が迷えるように目まぐるしいものであります。
人生を歩んでおりますと、いつの間にやら自分のことだけで精一杯…他人のことなど、押しのけへしのけ…
このような扱いともなる場合もあるものです。
各人にほんの少し、頑張りが足りなかったものが迷っております。
ただそれだけのことであります。
さ迷うもの達も、生きる間は誰かの子であり、誰かが親であり、誰かが親族でありました。
たったそれだけ、ただそれだけのことを。
誰だって遺伝子のもつれを抱える人間。
みんな大変です。
それを知り…
さて、
この存在をどのようにして汚いものとして扱いましょうか。
筆者には、酷なあまりゴミのように祓い、化け物のように逃げ…そのようなことは到底できません。
ただ、敷いて何かを言葉とし、思いを宛てるならば「二度とこのよう後悔は出来ませんよ」と、それだけでありましょうか。
長い間さ迷えば、だんだんと人であった知能を落としていきます。
私達は身がなければ成熟できない、持ちつ持たれつの関係であるためでありますが。
さ迷う時間が長くなりますと、知恵で天地へ向かうことが困難となり、やがては身振り素振りで這い出そうと致します。
しかしながら、物の発生がない空間とは、どのようにしても何処にも届かないのが現状です。
そうしておりますと
やがて、無の空間で手を伸ばしておれば手の長いものになります。覗きこんでおれば首の長いものになります。
思いとは、停滞致しますと、知能の進化はできませんが、生きている間の知能が残るために そのような進化は起きるのです。
これは、脳を持つことにより我々が知能の進化を遂げる証拠でもありますが…お見せできないことは残念に思います。
このようにしてさ迷うものが妖怪であります。
妖怪でありましても、まだ頑張りたい気持ちを捨てることがなければ救いであります。
なかには自分を捨て、見失うものがおりますが、このようになりますと魔物へと変化を致します。
見えはしない世界のお話しではございますが、日頃の努力と供養とは大切な行動であることがほんの、ほんの少しはお分かりいただけましたでしょうか。
もっと、わかりやすくお話ができれば良かったのですが…
あまりに長くなりますので、この辺で終えることとし、また後日思いがありましたら投稿と致します。
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どのようなカタチの者でありましても
私は、どのようなものも愛して止みません。
醜さを捨てれば、衣装は羽衣でございます。