誠な純白さで生きましょう。
筆者は、時に精神世界で活躍されている方々の文を拝見致します。
しかしながら、文の最後まで息を切らさずに読み上げることの出来る文面はほとんどありません。
その理由といたしまして、書きたいことがたくさんあり、思いが有り余って表現としとは足りず、思想に偏ってしまっていること。
逆には、地位を重く感じ、自分を良く見せたいために文面だけが浮き上がってしまう。思いが底沈みになってしまっていること。
およそ、理由と致しましてこの2点です。
筆者は、この思想の両点がバランスを取っておりませんと文面の把握ができません。
そのような文面は、響きが雑であるため、音として成り立たないことが原因です。
例えといたしまして、ラジオはチャンネルを合わせなければ音になりませんが、正にそのような響きであります。
心・身(魂・脳)が正しくないバランスの文面を読んでおりますと、途中途中に雑音が入ります。
書いている途中の会話・無駄な欲情、様々でありますが、このような音は貪欲に魅力を殺してしまい、筆者は『信頼性の薄さ』を感じ『意味のない不純物感』を感じラジオのスイッチを落とします。「まだ『無理が強い』」と思うのです。
このような、雑音を発する生活をする者は必ず身に病を持たせます。
自分自身のエネルギーを無駄に放出している状態・どちらかに負担がかかっているからです。
このような生活ですと、必ず脳を眠らせる時間も必要となります。
そのようになりますと、防御は薄く難から身を守る・身構える状態には成れません。
このような状態では人様を支えられる状態ではないのです。
いくら守護が多くつく者でありましても、その力を思う存分に発揮することは不可能です。
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自立することはとても大切です。
私は、たくさんの存在を守ることも出来ます。
病を消し去ることも可能です。
しかし、条件が必要です。
必ず、雑音の入らない環境に自分自身を置いて存在することです。
探しやすいからです。
整っていれば、どこにいても問題などありません。