未知 NaKi 道【奏白】SOUHAKU

生命がある意味を筆者なりに書き残します。私は見えない世を心に映し見える世をしっかりと眺めています。苦しみの無い世へと。

勝手などと、粗末なことなどは出来ないのです。

世界が成り立つ法則の下で、原理に基づく行いをしていれば、誰も何も困ることなどは起こりません。
自然な流れに身を任せるだけで全てが解決をしていきます。

例えますと、筆者の生活の中ではこのようなことが起こります。

「今月は買い物を少し控える必要があるわね。」そう思い、買い物を控えます。(目では必要のある品を知らず知らずに見ているものです)

翌日、家族が「これ。貰い物。助かるだろ?」…山積みの必要物。。。
(筆者…たしか、この物…このくらい山積みで安売りしてたよね…?)

昔は必要な物が、翌日に届くことはありませんでした。

最近では、その正確さと速さに驚くことがあります。

この頻度は、偶然などでは済ませることは断然不可能です。

この時に筆者は思うのです。
『また届きましたよ。本当に助かっています。大切に使いますね。必ず役に立てますね。』
そして、恩は決して忘れる日などありません。

筆者の霊眼で見る世とは、肉眼やカメラなどでは写せない速度で微震しています。
それが大自然の会話であり、運びであります。

まるで金色の毛細が波打ち、転がし流すように事を運びます。

筆者は、この世は恩が縁を繋いでいる。
そう、みんなに伝えています。

このような経験を繰り返せば、誰もが全てのことに口を閉ざし、ただただ感謝に明け暮れます。

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私達は自分勝手に生きる醜さや情けなさを知るべきです。

私達は持ちつ持たれつの関係で、生かされています。


人類はやがて、無口に微笑む姿に進化をします。

怒る意味やその恐怖・無意味さを覚え、人が生まれるその訳を誰もが必然とします。