始まりから終わりに向けて。苦を幸へ。
全ては無から始まっているということ。
なきにしもあらず。
元々、何も無かったのですから、死の存在などありませんよ。
苦しまずに前進を致しましょう。
と、とても前向きな内容です。
ふと、突然とこのような言葉が頭を過ぎりました。
しかし、何故か、違う意味の解釈とし、裏手の言葉もまわっております。
亡き、西もあらず。
西がなければ東は存在しません。
この言葉は破滅を意味します。
この言葉が浮かんだ矢先、脳裏では日本列島の中心部分にこれでもかと言うほどの壮大な川が流れている風景が過ぎりました。
とても穏やかな風景であり、様子から両立として出来上がった風景であり、命を繋ぐ川であろうと思われます。
日本の文化でもある相撲ですが、筆者が理解をする限り、西の海に宿ったものと東の海に宿ったもの・人類の祖先二種族が出会い、荒そう様子を現した非常に深い儀式と思います。
西と東に違う種の人類の祖先の赤ちゃんが誕生をしたと推測をしております。
そして、その種類はゴリラに近い種とチンパンジーに近い種であろうと感じており、蒙古斑もこの異なりから出現したのではないかと感じております。
人種の敵対心は、今であるからこそ少なくなっておりますが、まだまだ、遺伝子のどこかに困惑として残っていることを感じています。
ここに、蒙古斑のある人種と無い人種の遺伝子の中に眠る敵対心を感じており、この回避ができれば多少なりと難逃れに繋がるのではないかと裾端を引き寄せております。
人類は、何故かわからないが、もう十分に許せる位置に達しているにも関わらず許せない。
このような自体を起こす癖を持っています。
私達は猿である自我を知る認識を持ち、頭上からおさえる必要があります。
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備えが非常に必要な時期に入っています。
水が枯れる地があれば、沸き上がる地もあるでしょう。
これは、難ではありません。幸を迎える為に備えなければいけません。
いずれこの地は、ありとあらゆる生物が集まる地になるでしょう。
その前触れとして、様々な動植物・人種・菌やウイルスまでもが足を運びます。
整えておくことが強味と成ります。