大昔のある時代、輸血や治療を避けた理由の空想。
時々、自宅に宗教的な方々が訪問されます。
せっかくですがお断りしています。
気持ちは手に取るように解ります。
解るからこそお断りします。
はるか昔、輸血や治療を極力避けようとした時代がありました。
その理由は、個人が縁あって保有する菌や感染するウイルスの働きによって造られる免疫は地の状況を把握するための大切な存在であったからです。
たくさんの菌を身に保有することにより、各人が詳しい方角やその動きを理解することが出来ました。(常在菌による働きです。)
今では、この知恵を本能・直感・霊感・ひらめきなどと例えています。
生き物は連結を成して敏感に、いつも感じていることであり、保有する菌の動きに準じ動いています。
今、このような動きを知る方々がどれほどいらっしゃるのでしょうか。
残された書が時と共に変化をし、何が真かそうではないかを探るために時間が使われているような気がします。
だから、できるなら何も残す必要はありませんし、自分自身で解決できるように流していくしかありません。
このようなことにより、来客様であれお断りをしています。
今となっては、そのような事は知らない時代。
だからこそ、病えば懸命に前向きに療に励むことが最善です。
理由を知れば、各人個人が自然な形で自分自身に合った治療を選ぶようになっていくのですから、何も深く考える事はないですね。
ところで、九州から沖縄にかかる付近で力の蓄積が余っているように感じています。