無意識に働く生命
一週間ほど前の朝だったでしょうか。
朝目を覚まし、座り、外を見ましたらふとこう思いました。
「あら?私が地球。え?地球が私?
…いやいや、私は私。
ん?違う。地球が私で、私が地球。
え?なんかおかしい。
地球と私。
私と地球。
私なのに地球。地球だって私。
地球的私?
あれ?ん?え?
もー意味わからない。
どっちもどっちよ。
(私なりの納得)
そんなことよりも、今日も色々終わらせとこ!!」
と、いうよくわからない感覚に自分を存在させていました。笑汗
日常で起こっていく、やらなくてはいけない雑多たち。
これをひとつ、ひとつ、と終えていくたびに、私は開放感を感じます。
この感覚を楽しい、と思います。
鼻歌がもれそうなほどの開放感です。
逃げ遊ぶことに落胆感を覚え、憂鬱が身を切る感覚を知ります。
楽しい、とは決して遊ぶことではく、確実に終わりに近づくことを意識的に知ることです。
ケラケラと笑う感覚に、私は幸せを知りません。
きっと、目の前で行う行動は辛いこと、面倒なこと、しんどいことかも知れませんが、私は目の前の用事などに気を取られてはいません。
ただこなす。
ただ勝手にやっている。
いつのまにか終わっている。
これを、働くと言います。
動植物達は皆、懸命に働いています。
苦など知るはずもありません。
無意識に終点に身を寄せます。
終わりを追いかけるかのように、皆働きます。