未知 NaKi 道【奏白】SOUHAKU

生命がある意味を筆者なりに書き残します。私は見えない世を心に映し見える世をしっかりと眺めています。苦しみの無い世へと。

苦しみとは私を迷わせている証。

実際に、自分の中で貞かを知らないにも関わらず「これはこうだ」との思い込みは迷い(脳の一部の電解が渦をまき停滞している状態)を意味し、その行き先を阻みます。

迷える霊と同じ状況で、このような状態であれば、死後は供養が必要です。

子供達には良く言います。「それは確実か?」と。

噂を聞いて「こうなんだって。だから私も嫌い。」

私は言いますが。
「それは貴方の思いか?」と。


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私達、猿の遺伝子は身近にいる存在を仲間として認識し、時に正さを忘れることもあります。

私達は、猿に宿る人間です。

悲惨を避けたければ、確実な冷静を我胸奥にひとつおき、ひとつの出来事に対し、その胸奥を拓いて見つめることが必要です。

迷いから来る後悔は苦しいものです。

また、嫌いがあれば、それを回避するために停滞する未来を自分に与えていることにも気付くべきです。

私達は、間違いを正しに生まれるということ。

謎や矛盾があれば見直しに生まれるということ。

逆に謎がなければ、問題を解く必要がなく、生まれる必要はないということ。


念をおき、苦しみとは何かということ。


苦しみとは、自分を迷わせることにより発生します。




ビッグバンとは、ひと纏まりがバラバラになること。

私達はひとつに戻りたいと、いつも働いています。