未知 NaKi 道【奏白】SOUHAKU

生命がある意味を筆者なりに書き残します。私は見えない世を心に映し見える世をしっかりと眺めています。苦しみの無い世へと。

今日は気が引かれたため、八幡(ごく近くの地名)にとっさに足を向けました。
途中、道に迷いスマホの機能を使い場所を確認しました。
筆者が停まった場所は熊野神社八幡神社のちょうど中間地点でした。

その地点では「寄るほどでもなさそうだ」と思い、しばらく道を走っていますと、また、別の地域の八幡神社に出くわします。

ここでは、Uターンをして停車しました。



どうやら、この最終の節目の時節になり八幡神社のマグマの脈筋が乱れているようです。

最終期になり、この筋の詰まりです。動かす必要を感じます。


状態からは数千年から一万年弱の詰まりのようであり、まだ妖怪から化け物に変わる寸前の状態であり、言い聞かせ供養が可能な段階と判断をしております。

しかしながら、そこらの軽い年数の霊とは違いますので、供養と共に自分の足で行き先を決めるまでは不可能となりますので、このようは場合連れ帰るならば生涯世話をし節を迎えましたら友なる対処をすることとします。

このような行動をした場合、言い聞かせることにより、付きの者となりますので引き締めが肝心です。

言い聞かせることが不可能な場合には手を出さず見過ごします。

連れ帰れば離れませんから、供養ができなければ病等の発症の可能性を胸にとめます。


黒雲の引き寄せにも係わることを感じます。