未知 NaKi 道【奏白】SOUHAKU

生命がある意味を筆者なりに書き残します。私は見えない世を心に映し見える世をしっかりと眺めています。苦しみの無い世へと。

吸収・消化・排出と供養

筆者が日頃によく考えることのひとつとして「この人はどんな栄養素が足りい・余るが出てるんだろう」があります。

備える電気(多くの方は光と呼んでいます)と、受け持つ身体と、生きている上で起こる接触によるエネルギーの使用方法が、同じ家族であってもマチマチに筆者は感じているので、同じ食事でも、この子には必要・不必要が出るということがなかなか難しいです。


必要栄養素を補うために食し、余分破棄栄養素を排出するために必要栄養素を使用する…。


身体を最適な状態に維持することは、現代の現状ではとても難しいことだな、と感じてしまいます。


同じ人体でも、一日の必要栄養素は左右しているように感じており、それは常に私達に付着する他から寄る思いの分散に左右されていると霊眼でみえています。
(思いは浮遊しており、金色で精子のように飛び交い、たどり付きたい場所に付着して受精を起こし、思いを呼び起こしています)(思いを浴びることにより、人はいろんな閃きや感情が生まれています)


私達はひとつになるために、日々、様々な思いを消化供養しようとしており、そのために必要なエネルギーを得る必要がある、と霊的にはみえます。


だから、必要栄養素はひとり一人にとり大切なものであり、この世に起こる弱肉強食は必要不可欠である愛情だと思っています。

ただ、日頃の努力を欠かせば食も無知の殺意と大差ないとも思います。



人は、素直に正直に純粋にいることで、味覚を研ぎ澄ますことが今は必要かと思います。


そのうちに、このような配分も科学的に検出や測定される日が来るのかもしれません。


そのようになれば、現代の薬とはガラリと姿を変えた病的処置が施される。そのようにも思います。



私達は何により安心を得ているのか。

これがキーワードのように思います。


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