未知 NaKi 道【奏白】SOUHAKU

生命がある意味を筆者なりに書き残します。私は見えない世を心に映し見える世をしっかりと眺めています。苦しみの無い世へと。

痛みと死の霊的見直し。

物質として現れる(生きる)とは、動いているということです。


筆者から見渡す世界は、すべてが微震動しています。

例え方を変えれば「感電」しています。


筆者は、あまり人に近寄られるのも触られるのも好きではなく、髪の毛も自分で切ります。(笑)


身体のまわりに、まるで薄い膜がはっているかのように、触れられる前から触れられている感覚があり、ジリジリっとします。




この「感電」ですが、筆者は痛みと関係していると感じています。


人間以外の動物の死に触れた時、強い感電が手に触れます。

動物は寿命を迎えた際、痛みではなく強い感電の感覚により身体が麻痺し死後へ素早く向かっていくことを感じます。


人間は死の間際、苦しむこともあります。
この時、筆者には感電を感じないのです。



霊的感覚から、このことにより、痛みは正しい感電(微震)を整えないから起こっていると思っています。




死が恐ろしい、怖いのは、自分自身が調っていないことが原因だと思います。


すぐ、安らかな場所に到達出来ないと、知らず知らずに感じているからだと。筆者はそのように思います。


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