努力の花
生命は、ドクッドクッっとシン拍(音の波)を打ちながら時という空間(人生)を保ち、ひとつ(無)に戻るまでの間、一度だけ反転をする。
それが筆者に浮かぶ考えです。
人生は、心身共にひとつですが、その中には様々な陰陽(善悪)を抱えており、進化の過程では膨らんだ悪を知恵で収縮させ、退化の過程では悪という種を抱えながら善という知恵を無に向けて放出する。
そのようにも感じています。
泥沼の中で、それぞれが違う穴のなかで溺れ、わからない間に花が咲き、世界はひとつであったことに気づく。
しかし、喜ぶのも束の間、やがてそれぞれの種となり、時が来ればまた種は落ち、花を咲かせるしかなく。
生命の成り立ちに準じて、私達の人生も追っており「わからない、見えない」けれど、心ではわかっている。と、筆者は周りを見て思います。
泥の中の種は、光を目指して葉も花も地上に咲かせます。
そうしないと増えることができらいから。
私達だって、そちら(光)に向かって動いてる。
息が出来ないと、ジタバタ(努力)していたら、いつの間にか花の時期だった。
これが私達の人生だと思います。