未知 NaKi 道【奏白】SOUHAKU

生命がある意味を筆者なりに書き残します。私は見えない世を心に映し見える世をしっかりと眺めています。苦しみの無い世へと。

自分自身を見捨てないこと。

ヨハネの黙示録、という内容を今日初めて聞きました。(読めないので聞きました)


感想は「なんだこれは」という感じです。


一部の人にしか理解ができないように言葉を選んで封印している部分と真理に向かわないものの後の定め等をおおまかに理解しました。



食や物を不必要とする段階につき、どうすれば良いのか、どうなるのかという疑問や現時点での間違いや不安もあるかと感じました。



食は、心が洗われるに遵い変化します。


肉質などは、欲を完全に断ち切れば不必要な食材となります。(筆者的考え)



今食べたいなら必要なのでしょう。しかし、欲を強く持つことを進める訳にはいきません。

必要か不必要かを自身に当てる必要を思います。



大切なことは、清い心でいること。
それに見合う、見えない服を私達は着ていること。

そして、純粋な視線でものごとを見つめること。霊的目線で世界を眺めること。


聞く耳を持つこと。
表面的な言葉に惑わされることなく、誰もが真理を抱えていることを前提に「この方は何を伝えたいのかを見抜くこと」


等などが大切だと、伝えていると思います。




おそらく、15~16くらいを進んでいるのではないでしょうか。




私達は、汚れを落とさなければ、重力に負かれます。


以前、絵で書きました。


見える十時の裏には、見えない十時が存在すること。



救われ活躍する自由なものと、転落し不自由に働かなければ行けないものに別れると、筆者は計算します。



この世の果てに、新たな世の形成に、私はどちらに進むのかを今決めているということです。



他人に潜り込んで目をくらますことなく、自分の視線を生かして、自身を精製していくことが大切です。


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