悲しみも不安も要りません。
無駄な生命など誕生出来ません。
無駄な存在など現れる仕組みがないからです。
例え、酸素を酸い呼吸さえも出来かった胎児も、存在を果たしたことに意味がありました。
右も左もわからなくても、生まれ出る役目を与えられれば大いに機能を果たしています。
目が見えようと、見えまいと、足が不自由であれ、手を借りなければ存在出来ない使命でありましても、必要でなければ存在は果たせません。
必要であるからこその形なのです。
今はまだ、この理由を方式のように書き出せません。
しかし、透き通る誰もが、このようなことにつきそうであると確信し、繋がっていけるはずだと信じています。
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自信を持てば進めます。