未知 NaKi 道【奏白】SOUHAKU

生命がある意味を筆者なりに書き残します。私は見えない世を心に映し見える世をしっかりと眺めています。苦しみの無い世へと。

足手まといでしょうか。それとも手助けでしょうか。

大自然の喜びは、目標を目掛け前進をする事です。
目標とは、○(マル=エン)という平等な繋がり(ネットワーク)を組むことです。

無意味なこととは、沿い合わない乱しを起こすことです。

時に大自然は、バランスをとるために乱暴のような教えを与えて来ますが、それは目標へ到達するために必要に起こした大切な試練でしかありません。



無意味、とは、役立たないこと・足手まといをすることです。

足手まといとは、目標という光を知らず、無情を知らずムヤミに情に手を出すことです。

この世の言葉でわかりやすく例えるならば、自立していない(自分自身の事も知らない)のに、誰かを助けるなどは出来ないということです。

この世のどのような生物も、自分自身がぐらついた状態では何の役にも立てません。

働くとは、役立ちであり、協力であり、エンを繋ぐことであります。

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私は、誰かに何かをしてあげたい気持ちは常に持ち合わせています。
しかし、自分から「してあげようか?」と手だしをすることはありません。

常に、してあげられる事が手に届くまで待っています。

困っているときに、丈夫に支えて上げることが手助けだと心の底から思っています。

足手まといとは、どちらにとっても重労働です。