一歳のお誕生日。見えない世界からのお告げを守った一年間と今。
末っ子が、今日の午前7時10分で一歳のお誕生日を迎えました。
今振り返ると、妊娠期間中は壮絶な物語だったような思い出となっています。
12月24日の排卵を終え、翌日25日に受精をし、翌年1月1日に着床となり、妊娠初期にどうしても向かわなければ宿りを果たせないという告げにより三重県と石川県の神社へ軽自動車を運転して向かいました。
「宿すよう」という告げから始まり
妊娠期間中、お告げは順序を踏むかのように、厳しく筆者を縛っていました。
肉(血)を通すものからの食材は摂取しないように告げられ、食べたらどうなるのかと口に運びますと、奮え・嘔吐物には血が混じっていました。
妊娠後期に入ると、少しずつそのような物を口にすることが出来るようになり。今思い返せば、体内で末っ子が自分の血流を完全に手に入れた後だったから食べることが出来るようになったんだと知ることが出来ました。
妊娠初期には、告げを行う者達の中のおひと方が「いなごは食べても良い」と筆者に伝えて来ました。
栄養不足を気にしていましたので、東北からいなごの佃煮を買い求めて食べたことを今も忘れません。
(ごめんなさい、現在は食べれません)
妊娠中期に入ると、出さんに纏わる事細かいお告げが入るようになっていました。
出産した赤子は、自分で呼吸するまで手出ししてはいけない。だとか、臍の緒は金属で切ってはいけない。だとか、今の病院のシステム上、自宅で出産するしか方法はなく、、本当に頭を抱える日々でした。
妊娠と出産という、現代の法律の責任上、自宅で出産して何かあれば必ず難があるだろうと、無駄な妄想が突き刺さり出産当日までどうするべきかはっきりとした決断が自分自身で下せなかったことを覚えています。
しかし、いざとなった時、無性な覚悟があり誰の手を借りることもなく、一人で出産を終えました。
それが、昨年の今朝です。
出産した直後に、筆者は人生で1番重要な仕事を終えた気持ちで胸が満たされました。
そして、任務を果たしたと同時に何かが始まったことを受け取りました。
末っ子は11ヵ月で支えもなく自身の足で歩くようになりました。
初めて歩いた日、ドン・ドン・ドン。と足踏みをして大喜びしていました。
妊娠期間中、決して言葉になどならない空間で筆者は見えない方々と対談を続けていたことを生涯忘れることはないと思います。
現在はまた、棘道と言いましょうか。波瀾万丈と言いましょうか。
皆様と何ひとつ変わらない人としてのひとり道を歩き始めています。
しかし、思い返せばやはり、誰もが一人ではなく、見える・見えない。
陰陽が成す技により、この世界は発展をしていきます。