未知 NaKi 道【奏白】SOUHAKU

生命がある意味を筆者なりに書き残します。私は見えない世を心に映し見える世をしっかりと眺めています。苦しみの無い世へと。

とても見極めの良い、神聖な狐のもののけ。(追記あり)

最近ですが、暗闇の中で身の番いの背後にスーッとした気配のない存在の人でありながら、立派な狐の姿を一瞬目にしました。

しかし、何でしょうか。
筆者を守るために見張っているような様相であり、冷淡でありながら神聖な風を受けました。

怒っている訳でもなく、微笑む訳でもなく、例えるならば、白く輝く雪の冷たさ。と、言う感じです。

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幼い頃から神社へ向かう事か好きでした。

稲荷神社ですと、たくさん見つめられている事を感じます。

よく「狐に尻尾を捕まれる」などと言う言葉をきいたことがありますが、さて、誰が言いはじめたのでしょうか。

その気配のもの達は、信用・信頼すれば「こっちにきてよ。こっちだよ。」と、案内を出します。

関係を築けなければ、背後から引っ張り道を反らします。


ここでも思うのですが、嘘や偽りは歩くべき道からソレます。

いつ、どごにいても、信用と信頼が安心を届けています。


追記
偽りがないことは、全てを無に変える幸を持ちます。

その逆は不(無駄であり迷い道)を負います。

人は拓かれた道を歩むことにより、光(天)に向かいます。

病とは迷いと同等な道で拾います。