筆者の知る貧乏神と死二神。
貧乏神、死二神といいますと不吉な現象を思い浮かべるかもしれませんが筆者にとっては少し違います。
貧乏神とは、裕福になるための努力を与える仕事を促進させます。
貧乏暇なしという言葉もありますが、貧乏神が添うとそのような現象が起こり始めます。
負けずに与えられた仕事を熟しきることにより、貧乏神は笑いながら福之神に変化をします。
裏表は全くの異なりを持ち合わせています。
死二神ですが、死を与える訳ではありません。
死二神は縁の調整をとる神様です。
時に、努力もせずに遊び惚けているのに笑えるほどに金銭が入ったり、突然に宝くじが当たったりして、運が増したかと思いきや突然にこの世を去ることになる場合があります。
縁もネットワークですが、ネットワークを乱す存在に死二神様は付き添い、乱す者の縁の消耗を促します。
思いやる気持ちとは、自分自身を生かす運動です。
無理にではなく、気を使うでもなく、自然に馴染み命を同じ均一な視線で思い愛する同調が大切です。
死二神のイラストなどには、よくオノを持たせていますが、縁(命の繋がり)を切断すると言った意味合いだと思いますが、筆者の知る死二神はオノはありません。
判断力があり、見極めの高い優れた存在です。最終的に現れます。
この守り神もまた、要無く現れません。
日本の昔話では、働き者で優しい人があれよという間にお金持ちになるパターンがよくあります。
上記の関係ですね。