未知 NaKi 道【奏白】SOUHAKU

生命がある意味を筆者なりに書き残します。私は見えない世を心に映し見える世をしっかりと眺めています。苦しみの無い世へと。

人生が辛いのは、貴方がまだ我が儘だからです。

生きていますと、目の前の出来事に飲み込まれそうになることが頻繁に起こります。
人々は、この状態を「辛い」と言います。

筆者は辛いことが起こる度に、ひとつ片付ける作業を拾ったと思います。

そして、拾った作業を熟し終える努力をします。

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この世は連携を成して出現しています。

筆者か辛い経験を拾い集め最終的に上げる作業を繰り返しに行っているのは、目の前に迎える現実と呼ぶ経験は全てが供養だからです。

このような表現は、まだ今の世には適さないですが、私の現在の経験は全て叶えることの出来なかった他者の経験です。
支え、支えられている関係で中一本道を押されながら進んでいます。

固体差はありますが、輪廻を背負いましても、そのようなものは逃げさえしなければいずれ消耗し、個々の節目を迎えれば供養の道に皆誰もがまわります。

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私達が苦しいと勘違いするのは、自分がしている経験を我が物にしようとするからです。

そうではなく、今している辛い経験は先祖や縁ある方々が「貴方と一緒に生きたい」と自分を生かしている行事であることを知ることも大切と思います。

全ては私のものでは無いですから。

もし、筆者がこのことを感じることの出来いとすればきっと笑えないかもしれません。

筆者は、経験する難所は「~の為だから」「私が経験して上げます」と思うことができるから笑っていられます。

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~の為だから。

筆者は最終的な目的を目指しています。

その道のりは、今をしっかり見ていればそう遠くはありません。

いくら焦っても、ひとつひとつしか出来ませんから。

次の順番をまわす為に、ひとつ終えるだけです。