無数の私が存在しているという発想。
筆者は「無駄な命は存在をしないから、どのような命も、たぶらかしたり、遊んだり、傷めつけたりせずに、ただ感謝を贈るように」と子供達に伝えています。
無数の惑星の地球に、人間とは化さない、無数の私が存在しているとすれば。
そして、無数の惑星の地球に、それぞれの種類の動物達が人間と化し、生活をしているとすれば。
もし、そのようにして宇宙全体の動きを誰もが霊的に知らずの内に感じているとすれば。
その生き方で寿命が延びるかもしれない。
筆者の発想は限りなく続きます。
私は大切に出来ているか。
そして、大切にされているか。
苦しめていないか。
誰もを巻き添いにしないか。
守れるのか。
今後の人類の動きを胸の内に留めて、淡々と整理を思います。
整理とは、ケジメでもありますが、償いでもあります。
命を残酷に扱えば、償いを伴うことを未来に抱えます。
思いやりとは、人から人だけに飛び交いはしません。
小さな金色の思いの粒子は、集結して金色の塊に見えます。
人だけの思いの行き交わしだけなどでは、生きるに苦しい時代に入ったと思っています。
内も外も纏うものは皆命のかけらですから、全てのものに感謝を向けて歩みます。