未知 NaKi 道【奏白】SOUHAKU

生命がある意味を筆者なりに書き残します。私は見えない世を心に映し見える世をしっかりと眺めています。苦しみの無い世へと。

私が全て、貴方が全てです。

幾度も幾度も筆者が書き記します、ねじれが取れた時、裏表がイコールで結ばれないものは存在出来なるなるという、仕組み一環の流れがあります。

裏表のねじれが取れる時。それは神様同士の和解でもあります。

神様同士の和解。それは見える神様(裏)(身)・見えぬ神様(表)(心)が天秤両立している状態でもあります。



この時の流れを迎えることを、人は弥勒の世などと言うようです。



人は、心身を共に添えあう事が大切です。

「人」という漢字は、筆者には、神様と神様が共に支え合い、成り立つ形状に見えています。

別れず合わされば、1。

私たちは1ではなく、本当は2であることを知ることも大切です。

どちらかを優先することを、人は苦とも言い表しておりますが、そのような苦も、いずれ存在が出来なくなる時代に入りつつあります。


私は何故苦しいのかを知るべきです。

私が苦しいのは、私自身の天秤を私が取らないからです。


この世にも、あの世にも、人のせいなどと言うことは一切ない。


このことを、まだ、人類は知りません。


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