妖怪や霊達。私を大切にする意味。
何年ほど前のblogだったでしょうか。
もう10年程は立つでしょうか。
その頃にも妖怪のことを綴りました。
後、偶然ではないような映画を拝見することが出来、とても楽しい経験をさせていただいた覚えがあります。
今日は少し筆者の思想に生きる霊と妖怪のお話しです。
生命は、目指す形を遂げるために、いかに自由に早く負けないように残るようにと懸命に進んでいます。
人も同じ。
自分の理想を追い求め、自身を変えていこうとします。
ですが人は、生命の備える真理に時に迷い、迷い歩いているうちに生涯を終えてしまう。
そんなこも多々あります。
命を失ってしまった後、自身の死を受け入れられず、まだ頑張りたい。
死にたくない。
まだ頑張りたいから、地から離れたくない。
という、
霊体にも関わらず進むべき場所に進まない霊達もいます。
死んだけれど、憎しみや悲しみや嫉妬に溺れ、人に取り着こうとする霊達もいます。
幼くして死に至り、死を理解できず迷ってしまう霊達もいます。
…様々な霊達がいますが、その中でも「まだ私は生きてるぞ。だからまだまだ頑張るんだぞ。生きてるんだぞ!」と思う霊達は妖怪に変化をしていきます。
かすかに残る、在存する知恵を使い暗い場所から明るい場所を目指し、首が伸びる・足が伸びる・手が伸びる。
幼子であれば、空を飛んだり、好きだったおもちゃで遊んだりもしています。
嫉妬や怒り、悲しみや憎しみに溺れる霊達は黒塊になる傾向が強く、磁力に強く反応し地中に埋まる場合が多く、筆者は地震との関連性などもあるように感じています。
霊達の多くは、今を生きる縁者とのコミュニケーションが途切れ、生きる私達を含む霊的ネットワークを使うことが出来ない為(供養に至れない為)に迷ってしまうケースが多いです。
その中でも妖怪は、まだ頑張りたいという強い思いから、地獄を免れたさ迷う修行霊です。
妖怪達は修行霊ですが身を無くした霊です。知恵がありません。
中には、色々に経験がしたい余りに、人の真似をする霊達も出てきます。
中には、手や足が伸びたままの格好。何かの時期や気配を感じると大足幅で動き出すものもいます。
このような頑張る意思を持ったままの霊達は悪気もなく、筆者には楽しい存在です。(このままではいけませんけどね。)
妖怪とは部類が違うのが、憎しみや悲しみ等に執着する霊達です。
この霊達を人間の体の仕組みに例えますと、悪玉コレステロールのような存在です。
血管(マグマ通り)にへばり付きます、ガンとの関連性も気になるところです。
筆者の霊的視線では、今、この霊達がかなり多い状態です。
だから、地震やガンには今後も注意をしていきたい。と、そのような視線から社会を見渡しています。
このような霊達の世界を感じながら思うことは、日々の生活の中で、私達は自分自身を迷う存在にするべきではないと言うこと。
ちゃんとした位置に自分を置いて、自身を正しく誘導すること。
だと思うのです。
自分で自身を日々供養出来ていれば、それは遺伝子のネットワークを通じ、縁者を助ける行動となって行くことと思っています。
そのような事を含め、現在人類の沢山の方々は
「自分を大事にしてね。」
「ご自愛下さい」
「自分を信じて」
「自分を愛して」
と、叫んでいらっしゃることと思います。
本当に。
自分を大切にしなくちゃ。
と、思います。
今日は、筆者の得意分野を書きました。
書きましたけれど、これは筆者の空想に過ぎない各々様の胸の内に一度留めて頂けますと幸いです。