自分に許され自身が満足を得ること。と、今日の夢。
私の満足は、どのような誰もが知ることはありません。
いくら親しくても。
その確認は自分自身でしか行えません。
私達は生命の中の ひとつ として成り立っており「生命のひとつとして相応しい私であるか」を、自分(心)で自身(脳)を常に確認に落とし、問い掛けています。
私がひとつとして成り立てていないと無意識に知れば、幸せから遠ざかり、この目で見渡す世界はどんよりとし、幸を映すことはありません。
これを、人々は「ストレス」と表現をしているようなのです。
私が満足できているか、いないかは、私自身で知り、私自身が決めることです。
ストレスは、誰から与えられるものでもありません。
もし、ストレスを受けるなら、ストレスを放散している方に同調しようと、分かりあおうとしてあげている。分かち合おう。ひとつになろうとしているのだと思うのです。
どのように私を保つのか。全ては私次第です。
満足感 は誰にも関与されない、出来ない、私がだけの感情です。
満足を得た人々の姿とは、充実した人々の姿とは、なんとも言えない清々しさを感じます。
このような方々が増えるにつれ、それに同調しようとする人々が増えるに連れ、世界は輝き始めるように思います。
私達はひとつだけれど、一人ではありません。
隣の方を幸せに引き寄せる事で、未来は救われると本当にそう思っています。
今朝は夢から離れられず、寝坊をしてしまいました。
スーパーで買い物をしていたのですが、握るお金が見慣れないお札で「え?何?このお金?」と母に問いかけていました。
母は言うんです。
「このお金ね、元々千円札なんだけど、750円の価値しかないの。」
お札を確認しましたらアメリカのお札でした。
私は母に言ってました。
「え?ややこし過ぎる!1000円札なのに750円って、じゃぁいくら払えばこれ買えるの?計算できない…汗」
…お金の計算が苦手な夢の中の筆者はパニックになり…買い物をしていましたら、現実の筆者が夢の筆者の頭上から現れ「あ。これは記憶しないといけない、覚えておかないと」と思った瞬間、現実に引き吸われて、いつもの筆者として目が覚めました。
覚えておかないといけないと言いましても、筆者は伝え役のはずだと思います。
こんな夢を見たよ。と言うことを、ここに残して置きます。
夢の世界はどんよりとしていました。
未来の私は私が守っています。
未来は変えることが出来ます。
(脳の整理が完全に終わった後に経験することは、未来を修正するために働いていると筆者は思っています。生物は生命を守ろう、維持しようとしているとも感じています。)