日常での霊的出来事
昨日、家族が五月に飾る兜を持ち帰りました。
新品ではありません。古い、いつの物かはわかりません。最終的に我が家にたどり着いたようです。
かなり重いもので頑丈な物ですが…
昨夜内職をしていた時のことです。
部屋のどこかから、ポップコーンの弾ける音が幾度もバチバチと鳴るのです。
まぁ、必者は「もー。なに?」みたいな感じで横耳に聞きながら内職を進めていました。
するとですね、今度は気配を感じ始めました。
気配の方向に目を向けますと、そういえば兜が置いてあった訳ですが。
目のない兜と、幾度も目が合う訳です。
その感覚は「生きている」感覚で、内職を進めながら、筆者は生まれて始めて物と会話をしました。
頭がおかしいようでしょう?
筆者自身驚いていますし、少し雑には扱えない恐れ入るような感情が湧いてきます。
兜は、例えますと、刀を四方八方を向いて滅多切りするような乱暴な思いをはなっており「私は役に立つことなく捨てられた」というような思いを伝えてきます。
これはもう、捨てる訳にもいきませんし、追い出すことも酷でならない状況に追いやられました。
昨日、末っ子が何故かこの兜のツノに引っ掛かり身動きが取れなくなっていました。
そして、ふと、数寝を前に筆者は兜を買おうかと迷っていた時があったことも思い出しました。
筆者は、自身に過ちの犯しを受けるような生き道を与えてはいないと思いますし、これも、縁かと思うこととし一旦状況を見る為に兜をまつることとします。
筆者は今まで知りませんでした。
兜は、お守の役目を背負うのですね。
まさか、物が生きるとは。
筆者は兜に伝えてみました。
「ここで役立って尽きてはいかがですか。」
まだ念が強すぎ、我が家との馴染みがありません。
粗末に扱えば何かあるか、足で蹴飛ばせば、足を切断する事故にでも合いそうな気配です。
それより以前、別の神様もおいでになっており、日常の努力を欠かすことは許されませんので、少し投稿がおろそかになっております。
何卒。