私が全て、貴方が全てです。
幾度も幾度も筆者が書き記します、ねじれが取れた時、裏表がイコールで結ばれないものは存在出来なるなるという、仕組み一環の流れがあります。
裏表のねじれが取れる時。それは神様同士の和解でもあります。
神様同士の和解。それは見える神様(裏)(身)・見えぬ神様(表)(心)が天秤両立している状態でもあります。
この時の流れを迎えることを、人は弥勒の世などと言うようです。
人は、心身を共に添えあう事が大切です。
「人」という漢字は、筆者には、神様と神様が共に支え合い、成り立つ形状に見えています。
別れず合わされば、1。
私たちは1ではなく、本当は2であることを知ることも大切です。
どちらかを優先することを、人は苦とも言い表しておりますが、そのような苦も、いずれ存在が出来なくなる時代に入りつつあります。
私は何故苦しいのかを知るべきです。
私が苦しいのは、私自身の天秤を私が取らないからです。
この世にも、あの世にも、人のせいなどと言うことは一切ない。
このことを、まだ、人類は知りません。