何処を目掛けて矢を放つのか。
何かを救いたい、助けたいと真から思う存在は、助けてやった、などと見返す事などはありません。
生き向かう存在は、救い助けることを仕事とし、ひとつ終える度に充実を描きます。
達成感を得るには、自身というマトに、自分という矢を正確に放つ事です。
狙いは他にありません。
矢は、正確に中心をとらえるまで無限に放ち続けます。
安心せずの過去の予期
いつ頃の昔でしたでしょうか。
カラカラとした真夏の砂漠気候のような日、九州~沖縄方面からの爆風、それは広島県の砂浜がえぐれ家が倒壊するほどの風力。
この光景と勢いを身に感じるほどに、望遠から見せられております。
そろそろの、基地への警戒と回避を順に胸に打つことを知ります。
この防衛をこなすことにより大勢の見えぬ存在が救われることを望み。
時期を超えれば、望みは思うと同時に手にすることの出来る世の拓きと幸を覚える段階へ達すること。
現在では思い、時間差により物の表れですがしかし、未来には物の到達そして思い返しへの転換。
縁、円として、著しく=で結ばれる現象。
これは、神の存在を否定できない現象と、誰もが錯覚し、幸せの世界、平和の世とされます。
私達は猿であることも片隅に置き。
昨日は、奥出雲までドライブをして参りました。
何処にも寄っておりません。
ただ6時間、車を走らせました。
ある場所まで到達すると、突然自宅が恋しくなり、一刻も早く戻りたくなりました。
ただ行っただけ。
あれだけ行きたくなった場所に、行くなりすっかり興味をなくしました。
いったい、どのような呼び寄せでしょうか。
実は、夫婦仲が薄い切れ際に以前も同じことがありました。
何故か、そのような時には比婆山を目指すルートを恋しく思います。
戻るやいなや、何故か夫婦仲の縁が嘘のようにひっくり返り安泰の雰囲気を流します。
その場に到達し、
心に残る思いは強く「同じ過ちはおかしたくない」そのような響きを受けます。
今やるべきことは、まるく納めるべき作業かもしれません。
私達は、猿遺伝の人間です。
猿ではなく、人間です。
しかし、猿なのです。
筆者は雌猿です。
雄猿の魅力は、群の意見を良く見聞きし、受け入れ、まとめ引っ張り、雌に出来ない要を請け負い補う。
非常に勇敢であり、尽くしたくなる魅力を感じます。
守ってもらう有り難さから、必ず雌としての役割を果たして恩を返そうと心から思います。
雄猿もまた、雌の恩返しを群れを守る力に変えることとなる循環を纏う事と思います。
私達は、人間ですが猿であり、その遺伝子の仕組みをうまく理解すれば、さほど苦しくもない円満な家庭を築く事ができる事を知ります。
動かし方
思いは見えず飛び交い、燃え尽きるまで目的を目掛け、取り付いけば受精をすること。
「おまえら、何をするんだ」×
「私と貴方は同じ目的の達成を目指す仲間なのです。共に」○
警戒を置き止めます。
もう10年は経過する前、夢の望遠鏡で覗いた光景です。
日本の普通の人並みにミサイルが置かれています。
アメリカの兵隊さん達が日本人を避難させるための誘導をしている場面があります。
そのミサイルは、有毒なガスか何かのミサイルで、爆発するのではなく、液漏れすることで物質が混ざり合って有毒になる特種な感じのデカい薄いグリーン色をしたミサイルでした。
損とは
人を幸せにするとは簡単ではありません。
幸せに満たす動きとは、上下左右の確認では済まされず、上下左右からの係わり、縁引、その反映と波打ちをするまで張るかに計算をしなければ、満たすことは困難です。
隣の人を幸せにしてあげました。
その方はこの人生で何を発信するのでしょう。
それは、どこまで届くのでしょう。
隣の人を幸せにしてあげました。
その方は次にどんな行動をするのでしょう。
隣の隣、また隣の方も同じように幸せに満たされるのでしょうか。
九割の方が幸せでも全く意味がありません。
残りの一割の方が、大変な愛優者方だったら、努力の甲斐などありません。
人を幸せにすることは安易ではありません。
人を幸せにできる人は、ただ、立ちすくむだけで、周りを豊かにする力を有します。
幸せとは温もりであり、幸せを与える人は存在あるだけで十分な表現力を持ちます。
これが私の人生修業です。
働く、仕事とは。
現代では私たちは、自由な生活を手に入れるために、お金を手にする為に懸命に働いています。
お金とは思いの塊です。
私は、お金は手にしませんが、たくさんの裕福な材料を手にし、決して腹をすかせることもなく、物に困ることもありません。
私は、お金の為に働きませんが、手にする物、又、その縁に感謝の思いを捧げます。
そして、再生できるものは、無駄にしないように循環という命を育みます。
私が創造する未来は、人類は、自分に与えられた仕事を笑顔で熟しています。
そこに苦などなく、お金を目指すことを忘れています。
お金はありませんが、子供から老人まで皆が働き裕福です。
働くことに信念を持っています。
そして、生き甲斐を感じています。
そして、自分の存在の大切さを心に刻んでいます。
そこには、思いに満たされ物等に悩まず困る姿等忘れた新たな共存が存在します。
私はお金に興味がありません。
私にとって現代のお金とは、皆様の目線に合わせた感覚です。
筆者は自宅で内緒をしています。
その品物が人の手に渡り、お金が手元に舞い込むことに幸せを感じません。
ただ、筆者が制作した品物を手にし、手にした方が喜びを発された思いにやり甲斐を感じ、喜んでいただけるようにひたすら造り続けています。
仕事とは。