他人を大切にできる強い人
急な死を受けることとなった時、もし、私が複数の人と時間を過ごすことを与えられたとするならば、私は人々に何を伝えたいかと、今朝は目覚めてすぐに思っていました。
私なら、
これから死ぬということをきちんと受け止めなさい。
今は一緒だけれど、死の直後それぞれの空間に入ります。
その時に、決して後悔や未練を思うことは捨てなさい。
後悔や未練を蹴り飛ばして次に向かう覚悟をしなさい。
私達は、下にとどまるのではなく、蹴り飛ばし上に一気に跳ね上がります。
そうすれば、暗い闇から離れ、大切な人々を平等に眺める場所に辿り着きます。
決して、後悔をしては行けません。
あなた方は、これでも善行を果たされました。
簡単かと思いますが、死後は誰もが後悔や未練に満たされます。
人生には、全てを受け止めることを一秒一秒欠かさない努力が必要です。
生き物は皆、自分が頑張り他を助けます。
他人を真に大切にするとは。
ということを早朝より思います。
貴方はいつも正しい人です。
本当の幸せとは、わたしが何かを受け取ることではなく、私が捧げた中で貴方が幸せを感じ、その幸せを映すことです。
人は時に、場の感情に押し潰されて濁った言葉を発します。
私は貴方の言葉を耳に当てます。
当てますが、その通りには出来ません。
私は、貴方の言葉を耳に当てながら、本当は何を伝えたいんだろうと真理を解きます。
それは、貴方と私が幸せになるためです。
私は、貴方を馬鹿にしている訳ではありません。
私は、百パーセント、貴方の見方に付き、貴方の言うことを聴いています。
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筆者には感じ、手に取るように見えますが、思いとは浮遊し発する者の思いの相応の力を持ったまま目的に到着しようとします。
これはまるで、精子が卵子を目掛けて旅をするかのようにです。
筆者はどちらかというと、口を開いてわざわざ音を発することが苦手です。
思いを発し会っているいるにも関わらず、それに気付かずムヤミに音を発する行動を余分な消耗に感じているということが本音でしょうか。
筆者の空想の中では、生命全体大きくは口を閉ざした中の呼吸を絶え間無く続けており、ひとつの円の中で跳ね返る音を伝達し会っている。
言葉で伝えるなら、そのような仲間であると思い浮かべています。
どのようなことがあっても敵味方など存在せず、全ては一貫であることを大きくは映します。
貴方は、私は、素晴らしい。
こんなに頑張っているのに。また失敗をしてしまった。大勢の前で恥をかいた。私はどうしてこんなに何もかもうまくいかないんだ。
最悪だ。
私は頑張っています。
努力もしています。
それなのにうまくいかないと、思い込んでしまいます。
頑張って努力をした人が失敗をするのでしょうか。
貴方は、私は、大勢の方に勇気を与えました。
そして、同じ過ちをおかさないように注意を与えました。
貴方は、私は、誰よりも先に成功しました。
たった数分で、貴方は天国への階段を一気に駆け上がりました。
何を勘違いしているのですか。
それは苦しみではありません。
貴方も、私も、生きているだけで素晴らしい。
全てに置き、感謝を致します。
1番安定する場所は、中、中心という安定。
私達は、いつも真ん中に集まりたいという思いを持ちながらも、遠心力に引っ張られその道(中心)から外れようとします。
もし、今、辛いことがあるならば、それは中心から外れようとする遠心力に引っ張られている状態であると認識をし、その苦難を素早く正しく確実に落とすことが必要です。
私を真ん中に戻し、私なりの軌道を確保し、決して他に引っ張られて衝突などしないように、私なりの回転を維持します。
私達は、自分を安らぎ置くことが大切です。
安らぎとは、他人が私にぶつかって来ないように、周囲の安心・安定を眺めることでもあります。