痛みと死の霊的見直し。
物質として現れる(生きる)とは、動いているということです。
筆者から見渡す世界は、すべてが微震動しています。
例え方を変えれば「感電」しています。
筆者は、あまり人に近寄られるのも触られるのも好きではなく、髪の毛も自分で切ります。(笑)
身体のまわりに、まるで薄い膜がはっているかのように、触れられる前から触れられている感覚があり、ジリジリっとします。
この「感電」ですが、筆者は痛みと関係していると感じています。
人間以外の動物の死に触れた時、強い感電が手に触れます。
動物は寿命を迎えた際、痛みではなく強い感電の感覚により身体が麻痺し死後へ素早く向かっていくことを感じます。
人間は死の間際、苦しむこともあります。
この時、筆者には感電を感じないのです。
霊的感覚から、このことにより、痛みは正しい感電(微震)を整えないから起こっていると思っています。
死が恐ろしい、怖いのは、自分自身が調っていないことが原因だと思います。
すぐ、安らかな場所に到達出来ないと、知らず知らずに感じているからだと。筆者はそのように思います。
吸収・消化・排出と供養
筆者が日頃によく考えることのひとつとして「この人はどんな栄養素が足りい・余るが出てるんだろう」があります。
備える電気(多くの方は光と呼んでいます)と、受け持つ身体と、生きている上で起こる接触によるエネルギーの使用方法が、同じ家族であってもマチマチに筆者は感じているので、同じ食事でも、この子には必要・不必要が出るということがなかなか難しいです。
必要栄養素を補うために食し、余分破棄栄養素を排出するために必要栄養素を使用する…。
身体を最適な状態に維持することは、現代の現状ではとても難しいことだな、と感じてしまいます。
同じ人体でも、一日の必要栄養素は左右しているように感じており、それは常に私達に付着する他から寄る思いの分散に左右されていると霊眼でみえています。
(思いは浮遊しており、金色で精子のように飛び交い、たどり付きたい場所に付着して受精を起こし、思いを呼び起こしています)(思いを浴びることにより、人はいろんな閃きや感情が生まれています)
私達はひとつになるために、日々、様々な思いを消化供養しようとしており、そのために必要なエネルギーを得る必要がある、と霊的にはみえます。
だから、必要栄養素はひとり一人にとり大切なものであり、この世に起こる弱肉強食は必要不可欠である愛情だと思っています。
ただ、日頃の努力を欠かせば食も無知の殺意と大差ないとも思います。
人は、素直に正直に純粋にいることで、味覚を研ぎ澄ますことが今は必要かと思います。
そのうちに、このような配分も科学的に検出や測定される日が来るのかもしれません。
そのようになれば、現代の薬とはガラリと姿を変えた病的処置が施される。そのようにも思います。
私達は何により安心を得ているのか。
これがキーワードのように思います。
輪廻転生を繰り返さないように。
人類は、大分進歩をしてきたと筆者は思います。
確実にわかっていきたい(物質的原理を肉眼で解明確立する)という、猿類遺伝子特有のコツコツとした努力が実って来ているとも思います。
これも、遠く大きな視点では、生命の様々な道筋のひとつとして大切な事だと思います。
しかしながら、筆者にとっては、先日の来院の薬のように、筆者の個性を病気と位置づけて、脳の巡回を遮る処置をとられるのであれば、やはり、「お前は変だ。おかしい。普通ではない。」と否定され、殺されるのと大きな違いはないように感じ、薬に浸れば今後の様々な形成に支障が出るかもしれない。
と、そのようにも考えてしまいます。
この考えを誰かに述べる時点で、おかしい人だと不信感を抱かれることもわかります。
先日薬を服用した翌日から2日間ほど、霊的意識が低く、筆者自身のバランスをとることが出来ませんでした。
筆者にとり、霊的意識が薄いことは恐ろしいことに感じます。
(例えとして少し変かも知れませんが、アニメのような感じで、悪魔を詰め込んで膨らんだ風船をギュッと握って漏れ出さないようにしているのに、薬を飲んで手が緩んじゃって少し空気抜けちゃった…みたいな)
…少しじゃなくよっぽど変かも。…
正しさは見えるものではありません。
まるで同じ色と同じ色を混ぜ合わせたみたいに。です。
けれど、正しみに浸れば、誰もが無限に広がる安心感を感じることができるはずです。
見えるもので真の幸せを得ることは困難であると筆者は思います。
もしかすると、今の科学・脳科学であれば、どのような時に安心や幸せを得るのかを測定出来るのかもしれません。
愛とは、胸から脳に流れる電光を安定させるものです。
同化現象が起きた時に安心を感じ、安定した電流が流れる見えない物質、それが愛であり真理を固定させているものです。
私達は見えないものを胸に抱き、それを開放する動きを常に求めています。
その見えないものに包まれたいと生き物は皆思い、いつの日か、その見えないものに包まれ果たした時、私達は物質の死を幸福に包まれた現象であると感じ始めるはずです。
筆者は、物質の死を笑顔で迎える日が来る。と本当に考え、感じています。
それぞれが、それぞれの角度から真に向かい花を咲かせようとしています。
蓮根みたいに。
皆が、本当にそれぞれだから、私達のような猿遺伝子は仲間同士での争いも起こしやすいと思います。
この星の私達は、他人を見るよりも、他人の中の私を見ることの方が大切だと、そう思います。
争いは外を見て降り回されることにより起こります。
どちらにも共通する中心に自分自身を置いて両眼を使うことが安心に繋がります。
外に振り回されてどちらかに移動するのではなく、中心で暮らします。
中心には、生死を両立させる愛の世界への波動があります。
輪廻も転生もない。
使命を持って現れることが出来る自由な空間。そこが我が家です。
(黒がやらないといけないことをやり直す空間(輪廻)、白がやりたいことをやり直す空間(転生))
私達を安心・安定させる見えないもの。
正しさは見えるものではありません。
まるで同じ色と同じ色を混ぜ合わせたみたいに。です。
けれど、正しみに浸れば、誰もが無限に広がる安心感を感じることができるはずです。
見えるもので真の幸せを得ることは困難であると考えます。
もしかすると、今の科学・脳科学であれば、どのような時に安心や幸せを得るのかを測定出来るのかもしれません。
愛とは、胸から脳に流れる電光を安定させるものです。
同化現象が起きた時に安心を感じ、安定した電流が流れる見えない物質、それが愛であり真理を固定させているものです。
私達は見えないものを胸に抱き、それを開放する動きを常に求めています。
その見えないものに包まれたいと生き物は皆思い、いつの日か、その見えないものに包まれ果たした時、私達は物質の死を幸福に包まれた現象であると感じ始めるはずです。
筆者は、物質の死を笑顔で迎える日が来ると、本当に考え、感じています。
生きる人を全否定することは間違っています。
人生で経験することは「誰が正しいか」ではありません。
「何が正しいか」
です。
誰もがそれぞれに正しさを持ち、誰もが正しみに浸るために動いています。
角度はそれぞれですが、それぞれが中心を見つけることにより、同じ感覚に浸り、幸せを得ます。
その感覚が、愛です。
愛とは唯一の同化現象を引き起こす動力です。
その愛に浸ることで、根源的動力を得ることが出来、人の目に広がる世界観が変化をします。
それぞれに中心を持つ私達は皆が家族です。
皆、誰もが同じ感覚に浸れる世界観を持っています。
その波動を私のものにすれば、輪廻転生を抜け根源にたどりつきます。
同じ波動と波動の行き来です。
類は友を。
貴方は今どの波動の中で、誰と巡り会い、何を感じ、存在していますか。
生命は同化(ひとつになる)を求め存在します。
愛という存在に同化すれば、不滅を手にすることができます。
この世では誰もが何らかの難に触れます。
バラバラであり、ひとつでないから起こる自然現象です。
掃除は大切です。
ひとつになりたい、なりたい。と、手を伸ばし欲するのがこの世です。
ひとつになりたい。だから起こす行動が努力という真理へ繋がる道です。
これを人々は働く、とも表します。
私達は何を起こしに、今ここに入(い)るのでしょうか。
何を導きに、ここに現れているのでしょうか。
「汚す」を、災難に思います。
■
今日は日常の日記です。
主人に、こう言われます。
「欲がなかったら、金儲けはできん」…
=…稼げ!と、伝えて来るのですが、そう言われましてもどうしていいのかわからず。
投資はどうか?等とも言われ、、筆者にとって無いと困るお金でさえも欲しい物でもなく、何をしたらいいんだろう…と考えまして、1番苦手な貴金属に少し触れてみようとしていましたら。。
ここから、アホな転回にのめり込みます…
ネットで、安く貴金属を仕入れてみようとしていましたら、偶然にもお金に困っている方と繋がりました。(母子家庭で子宮ガンを再発された方)
プロフィールに困っていると書いてありますのに、値切りに値切られているのを見て知らぬ間に筆者に火がついてしまったようで、値切られている品物を元値に引き上げ…人の品物になりかけているのに…それを横取りし、挙げ句の果てには必要以上に高く買い取るという…変な行動を気付けばとってしまいました・・・
後々気付けばマイナス。みたいな…汗
絶対に家族に言えない大惨事… Σ( Д )ﻌﻌﻌﻌ⊙ ⊙…
それなのにまだやりたいという、シンの喜びが暴走をしてしまいまして…
自分も欲を出したいと思っていたはずが、他人の欲を踏み潰すためにお金を使ってしまったという、、
これは、どーしようもない。たぶん、もう欲を出すのは無理だな、と感じてしまいました。。
人間は、こうなって来ましたら、今の世の中での生活はやはり難しいもので、変わり者でしかないのだろうとつくづく思ってしまいます。
アホも通り過ぎれば、変な人でしかなく見えると思います。
何をたくらんでいるんだ?とコワイかもしれません。
(シンは何をたくらんでいるのでしょう…)
最近では、捻くれ精神を受ける事がたえ辛く、怒りのようなものとして沸き立つことがあります。
そして、その感情を身に流したかと思いましたら、大地のマグマの勢いまでも筆者を真似るようにフツフツと煮えたっているように感じます。
(おそらく、自身の遺伝子の供養が終わり、開通しているために、ランダムに大地に響いています。)
皆さん、素直に生きて下さい。
自分だけの為に、人をおとしめてはいけませんし、その上で自由奔放になどは生きられません。
(他人の音(個々のいき道)を鎖して、その上には乗れません。他人様の音が生きなければ、自分の音もバウンドできません。)
だから、気をつけて。
たぶん、大地は皆を助けるために動いていきます。
今はもう、それに気付かないといけません。。
私は貧乏でも楽しいです。笑
あ、その巡り会いの方、神奈川県でした。