輪廻転生を繰り返さないように。
人類は、大分進歩をしてきたと筆者は思います。
確実にわかっていきたい(物質的原理を肉眼で解明確立する)という、猿類遺伝子特有のコツコツとした努力が実って来ているとも思います。
これも、遠く大きな視点では、生命の様々な道筋のひとつとして大切な事だと思います。
しかしながら、筆者にとっては、先日の来院の薬のように、筆者の個性を病気と位置づけて、脳の巡回を遮る処置をとられるのであれば、やはり、「お前は変だ。おかしい。普通ではない。」と否定され、殺されるのと大きな違いはないように感じ、薬に浸れば今後の様々な形成に支障が出るかもしれない。
と、そのようにも考えてしまいます。
この考えを誰かに述べる時点で、おかしい人だと不信感を抱かれることもわかります。
先日薬を服用した翌日から2日間ほど、霊的意識が低く、筆者自身のバランスをとることが出来ませんでした。
筆者にとり、霊的意識が薄いことは恐ろしいことに感じます。
(例えとして少し変かも知れませんが、アニメのような感じで、悪魔を詰め込んで膨らんだ風船をギュッと握って漏れ出さないようにしているのに、薬を飲んで手が緩んじゃって少し空気抜けちゃった…みたいな)
…少しじゃなくよっぽど変かも。…
正しさは見えるものではありません。
まるで同じ色と同じ色を混ぜ合わせたみたいに。です。
けれど、正しみに浸れば、誰もが無限に広がる安心感を感じることができるはずです。
見えるもので真の幸せを得ることは困難であると筆者は思います。
もしかすると、今の科学・脳科学であれば、どのような時に安心や幸せを得るのかを測定出来るのかもしれません。
愛とは、胸から脳に流れる電光を安定させるものです。
同化現象が起きた時に安心を感じ、安定した電流が流れる見えない物質、それが愛であり真理を固定させているものです。
私達は見えないものを胸に抱き、それを開放する動きを常に求めています。
その見えないものに包まれたいと生き物は皆思い、いつの日か、その見えないものに包まれ果たした時、私達は物質の死を幸福に包まれた現象であると感じ始めるはずです。
筆者は、物質の死を笑顔で迎える日が来る。と本当に考え、感じています。
それぞれが、それぞれの角度から真に向かい花を咲かせようとしています。
蓮根みたいに。
皆が、本当にそれぞれだから、私達のような猿遺伝子は仲間同士での争いも起こしやすいと思います。
この星の私達は、他人を見るよりも、他人の中の私を見ることの方が大切だと、そう思います。
争いは外を見て降り回されることにより起こります。
どちらにも共通する中心に自分自身を置いて両眼を使うことが安心に繋がります。
外に振り回されてどちらかに移動するのではなく、中心で暮らします。
中心には、生死を両立させる愛の世界への波動があります。
輪廻も転生もない。
使命を持って現れることが出来る自由な空間。そこが我が家です。
(黒がやらないといけないことをやり直す空間(輪廻)、白がやりたいことをやり直す空間(転生))