未知 NaKi 道【奏白】SOUHAKU

生命がある意味を筆者なりに書き残します。私は見えない世を心に映し見える世をしっかりと眺めています。苦しみの無い世へと。

目覚めとは何かを知るために。

今となりましては、お経も難しい時代となっております。
経、とは一字一字に託された思いが募っており、それを内約致しますと何冊もになる分厚い本と化します。
これを、今の時代になり心の底から理解を得る者は到底にも見当たらない状況でございましょう。

各宗教におきましても、派閥をうむために広まったわけではなく、各人の性質に合うようにと始まり、弟子に弟子が付き、また弟子が始め・・と膨らんだ事態でありましょう。

無闇ヤタラに経を歌えば楽になるなどのことはございませんし、また宗教を頼れば我が身が救われることも全くにございません。

故、釈迦が申しました「楽しみましょう。」この言葉の裏には『私達は楽しみに向けて歩んでいます。その思いで仲間として、共に進んで参りましょう。死は別れではございません。等』と、いう思いを捧げる・悲しみから各人を救い上げたいという願いがこもっております。


経とは捧げる歌であります。

例といたしまして、浄土真宗の一節「な~むあ~みだ~ぶ~つ、な~むあ~みだ~ぶ~つ、な~」と、歌う節がございます。

釈迦の思いを良く知る御弟子様のご活躍を知ります。

今となりましても、この音調とは胸と脳を揺らがす絶妙な音でございます。しかしながら現代では大勢の歌手様達が民衆を和ませて上げております。
これもまた、素晴らしい熱狂に心を打たれております。

今に至るご活躍の繋ぎを楽しく拝見致しております。

思いが繋がるとは大切な働きであります。

この旅に引き続き、教えと伝いが競いには成りませんように、切に願うばかりでございます。

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私は全力全霊で迷いの根を抜き去ります。
この場が、大きな株の童謡の舞台と成れますように。

目覚めは各人の中にございます。