不十分を知るために、悲しい死が訪れます。どんな事からも学ぶ視点を忘れてはいけません。
無意味な死など無いように、全ては神様の手の平で行事は進んでいます。
しかし、勘違いしてはいけないことは『無意味な死はないからと安気にならないことと、起こってしまった死を無駄にしてはいけないこと』です。
この世の生物は皆、危険を知らせるために・安全を手にするために寿命の短縮や種の絶滅を行っており、失敗は仲間の助けに成っています。
捧げることの必要性を立身させ、皆でひとつの目標を達成するために、生物は着々とした働きをしています。
宇宙が誕生している法則には、すべて円(○)(縁)が基本です。
私達は音の波のなかで、揺れ動きならがら生命を維持しており、音の波に揺られる=動く。
これが『生き働く』ということです。
大自然・地球は宇宙の法則の下で、音の広がりに因み、まるくまるく平等なエンを成立しようとしています。
私達は、仲間(人)の死をどのように受け入れていますでしょうか。
・かわいそうだ。
・残酷だ。
・犯人が憎い。
それは、ただの感情でしかありません。
毎日のように、マに差し込むように命が寿命を迎える事なく終えていきます。
私達は学ぶことを忘れていませんでしょうか。
ひとつの死から何を得るべきか。
これを追求することにより、ひとつの死が生かされます。
死を改めてみます。
この世の生物も失敗するときは皆同じ理由で命を落とします。
「想像出来なかった失敗・確認ミス、何かに気を取られ判断を誤った」
そのようなことです。
筆者は我が子には厳しいほどに伝えますが
『目が前についているのに、なぜ横や後を見ながら歩くのですか?
耳はどう使ったら良く聞こえますか。お話しを聞く時には声の方へ顔を向けた方が安心しませんか?
鼻で匂いを嗅いで、頭を傾げたくなる臭いがあるなら何故だろうと考えて見なさい。
今日は何が美味しいと感じますか?体の何処かに負担がかかっていたりしていないかな?』
体はひとつで整った機能を1として持ち、しっかり知ることで無駄を回避することができます。
自分自身をしっかりと意識して、自分自身に集中する大切さは必ず個々の持ち合わせた寿命を迎えることができると筆者は思っています。
スマホに気を取られて味覚を失なっていれば胃腸障害を起こすかもしれません。
体は間違った使い方をすればいくらでも傷みます。
しかし、大きな視点からすれば。
『本当は、死など無い』
それが正しいです。
揺られる限り物質の構成が続き、揺れ終えればまたひとつ。
そしてまた互い違う力・摩擦により分裂し…揺れます。
…だったら好きに生きればいいじゃないか!
…それも違うのです。
見えぬ大きな大きな視点からも、また、天国と地獄が存在します。
私達の一生涯のうん万・うん兆…いえ、それ以上に長い長い分かれとなっています。
すんなり言えば、この惑星は天国へ行くのか。それとも地獄へ行くのか。であります。
それは、ホールの中で分離されます…。
ホールとは…
私達が死後に味わうトンネルの超でっかいバージョンです。
だから、皆でひとつ。
手を取り合うことを、絶対に忘れてはいけませんし、皆仲間であり、平等です。と筆者は伝えています。