読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

未知 NaKi 道【意清美】IKIYOBI.

どのように生きれば天は拓きますか。私は生きながら天国をみています。文章に出て来ます「私(わたくし)」を『ご自身』と置き換えていただくことにより真の幸いと成ります。

私と貴方に境目などありません。

今朝、お線香をあげますと、三本の線香がラセン上状と成り、とても美しく上がっていました。

それを見て、筆者は、見えるラセンは、筆者が見えず受け持つ今のわたしであること。
そして、見えぬ方々の思いを引き継いで存在している。との思いを受け、私は、見えぬ存在を束ねここに存在していると確信し、あなた方の思いを今に受け持つことの思いを返しました。

私は一人の人間でありますが、私は紛れもなく先祖と名のある遺伝子の現れであり、このことを忘れるべきでないと強く思いました。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村

私と貴方とは何か。

私は貴方であり、貴方は私であります。

優愛

私は私のために懸命です。
貴方も貴方のために懸命です。

それが良いのです。


にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村


私は貴方の為に懸命になりません。
私は貴方の自由を奪いたくないからです。

貴方は私に懸命にならないで下さい。
私は私で精一杯です。


にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村


命の連携とは、時に残酷にも思えるような動きがありますが、それが最善であることを踏まえ、無我夢中となり生存を果たします。

命はなげきを知りません。そして、苦しみも知りません。

そこには、生き残る唯一の決断と知恵を兼ね備えています。

種の遺伝子が絶えることもまた、大なる生命の決断となります。

食われ絶滅するのではありません。中に生きる決意をしたのです。


にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村


私は貴方のことだけを思い、貴方は私しか見えません。

貴方は私を思い、私は貴方しか見えません。


私は貴方を心から愛しています。

そして、貴方も私を愛しています。


にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村

私が全て、貴方が全てです。

幾度も幾度も筆者が書き記します、ねじれが取れた時、裏表がイコールで結ばれないものは存在出来なるなるという、仕組み一環の流れがあります。

裏表のねじれが取れる時。それは神様同士の和解でもあります。

神様同士の和解。それは見える神様(裏)(身)・見えぬ神様(表)(心)が天秤両立している状態でもあります。



この時の流れを迎えることを、人は弥勒の世などと言うようです。



人は、心身を共に添えあう事が大切です。

「人」という漢字は、筆者には、神様と神様が共に支え合い、成り立つ形状に見えています。

別れず合わされば、1。

私たちは1ではなく、本当は2であることを知ることも大切です。

どちらかを優先することを、人は苦とも言い表しておりますが、そのような苦も、いずれ存在が出来なくなる時代に入りつつあります。


私は何故苦しいのかを知るべきです。

私が苦しいのは、私自身の天秤を私が取らないからです。


この世にも、あの世にも、人のせいなどと言うことは一切ない。


このことを、まだ、人類は知りません。


にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村

日常夢

内職の荷がやはり、神奈川県へ向きます。

今朝は意識のある浅夢の中で脳に「エボシ…エボシ…」と響き、金色の中にたたずんでおり、鹿の中に包まれているような不思議な目覚めとなりました。

エボシとは何かと調べてみましたら、神奈川県に烏帽子岩というものが存在しました。


神奈川県に何かが集中しています。

発生(誕生)はととのい起こります。

何を求めることもありません。


今、ここにいる。今、寄るものと私をしっかり観察していきます。


それを知ることが大切です。




一生涯でのひとつの発生の終始か、幾度も続けるのかは個人にたくされることです。

筆者は遠回りは好みません。

日本伝統の紋、その奥ゆき

日本伝統の紋、砂紋の現し方。
円と円の交わりを基点に置くことにより、物質出現を再現するという楽しさがあります。


何故、物質は出現するのか。
何故、異なるのか。


円はまるで、楽器のゲンのように振動し接触点で固まる。(物質の現れ)
そして新たな振動を生み、また次なる基点へ向かう。


まるで遺伝子ネットワークの再現のようです。

今日は気が引かれたため、八幡(ごく近くの地名)にとっさに足を向けました。
途中、道に迷いスマホの機能を使い場所を確認しました。
筆者が停まった場所は熊野神社八幡神社のちょうど中間地点でした。

その地点では「寄るほどでもなさそうだ」と思い、しばらく道を走っていますと、また、別の地域の八幡神社に出くわします。

ここでは、Uターンをして停車しました。



どうやら、この最終の節目の時節になり八幡神社のマグマの脈筋が乱れているようです。

最終期になり、この筋の詰まりです。動かす必要を感じます。


状態からは数千年から一万年弱の詰まりのようであり、まだ妖怪から化け物に変わる寸前の状態であり、言い聞かせ供養が可能な段階と判断をしております。

しかしながら、そこらの軽い年数の霊とは違いますので、供養と共に自分の足で行き先を決めるまでは不可能となりますので、このようは場合連れ帰るならば生涯世話をし節を迎えましたら友なる対処をすることとします。

このような行動をした場合、言い聞かせることにより、付きの者となりますので引き締めが肝心です。

言い聞かせることが不可能な場合には手を出さず見過ごします。

連れ帰れば離れませんから、供養ができなければ病等の発症の可能性を胸にとめます。


黒雲の引き寄せにも係わることを感じます。