何故平和に至れないのか。
地球は、生物を懸命に守ろうとしています。
どのようなことが起きようと、それは地球にとり最善、必要事項でしかありません。
私達は、誰も何も恨むことなどは出来ません。
心理から掛け離れる無知な選択で、今という基点を組み、日々のビッグバンを起こせば、チリやホコリが舞うことは避けることは出来ないのです。
理解すべきは真理という成り立ちです。
誰かが悟る真理を鏡写しで見るのではなく、自分自身の額の目で、真理と向き合うことが最善です。
鏡写しの語り事は迷いを発生させます。
本来、宗教は割れてはおかしいのです。
到達地点は同じであるのに、何故派閥が起こるのかを知る必要があります。
今日も均一な平和を思っています。
え?嫌い?…そんなの嘘よ。
誰かを笑わせたい。
誰かに腹が立つ。
何故か沈んだ気持ちになる。
何故か嬉しい気持ちになる。
気になる。
考えてしまう。
私達は仲間を見放したり出来ない創造物です。
すっきりするまで、ひとつに戻るまで。
思いの放散は果てなく続きます。
何が私の成長を促進させ促していますか。
平坦な道を歩きたいなら、万遍な感謝が必要です。
投稿の消去につき。
筆者は、このblogには綴りたくなったことを素直に記すことにしています。
そして、その文章によりどのような思いが沸き起こっているのかを知りたい。
筆者にとりここは、未来を確認する大切な場所。
昨晩投稿したような内容で興味かぎたててしまうような記事は、察した時点で消去しています。
誤った記事の判断で申し訳なく思います。
筆者は、興味を持ってもらいたい訳ではありません。
思いを共有することにより、未来の綺麗な状態を今、ここでみたいと思っています。
未来が不安であるのは、今に足りないことがあるからです。
筆者は、その交差のズレを少しでも改善したいと思っています。
わざわざ、未来の私を苦しめる必要はありません。
夢の中の爆発物。
数年前に見せられていた爆発物と似たものが現実に出てきました。
この見せられる夢ですが、筆者は夢の中で長い筒から未来を覗かされるように「ほら、見ろ」というような感じで経験させられます。
このような夢は月の引力下により起こる夢で、地底の太陽(地獄界)からの働きにより起こっていることを霊的に感じています。
「伝えるから、変えてくれよ!私らを助けてくれよ!」と、役立ちに震えた思いを時に筆者は受けとります。
悪い夢は誰かに言った方が良い。
と、よく耳にします。
伝えることで、生きる人々の想像力を促し、未来に備えることができる・変えることができる。
それにより、助けられる存在がいるということから、筆者も「悪い夢を一人で悩まない」ことは一理賛成です。(脳の整理が完全な状態であれば賛成です)
夢の中の爆発物はとても大きく、爆発はせず、地上に置かれていました。
その爆発物は、世界中を闇にする威力があり、ただ爆発するだけでなく、生物を枯らす成分が含まれているようにも感じました。(ガスのような成分?)
応援部隊を含む自衛隊員が、市民の誘導をしていましたが、爆発物があるすぐ側のうどん屋さんで、他人事のように食事をする人々がとても印象的でした。
世界が平和に向かうことを毎日思っています。
貴方だけの為に存在するものはありません。
毎日毎日、手掛けて、私の前だけに咲く花。
どれだけ時を費やし、お金を費やしても、お花は決して私の為だけになど咲きません。
人生は自己満足の多い世界です。
そのような世界の中で真実に全身全霊をかける方々が、いずれ世界中に溢れることを心から思っています。
貴方は今、どのような視線で花を眺めますか。
そこに、どのような満足がありますか。
見返りは平等に渡されます。
見返りは求めることではありません。
思いは嘘、偽りなく発し、求めるところへ向かいます。
見返りは、求めずとも、生きるもの全てに公平に向かい来るものです。
それをどのように対処するかは、生きるものに托されています。
外見に関係なく、私達は受け取るものを常に手にしています。
要らない思いを湧かせない安静は、何もが喜びます。
これを真実と思う時、人は言葉を誰にどのようにして語りかけるのでしょうか。
世界はいずれ変わっていくと思っています。
誰もが大切。
思いやり、優しい気持ちを常に忘れないことは、私自身を成長させます。
思いは私にいつも到来し、私はその思いをこの身に受けることにより、私としての役割を果たすことが出来ています。
様々な現実が、様々な思いを湧かせ、色々な物事への掛橋を日々渡していますが、それはどれも無駄ではない、ひとつの目標に向けて架けられる橋であると筆者は感じています。
私達が、同じ目的を持ちながらも、全く違う個性を放つことは重要な役割があるからです。
私だけが浮いているなどと、考える必要はありません。
いずれ、みんなが大切なひとつであったことを思い出せる日が来ると、筆者は日々思います。