敬い、供養は私のために行います。この意味を理解致しますと死とは恐れではなくなります。
遺伝子の糸を解くこと。
これはひと事ではございません。
子孫の有無等は関係がないのです。
死後には、私は私自身が解いた糸をたくり天へと向かう道筋と致しますが、もつれがあれば、ひともつれ、ひともつれが後悔であります。
先祖が残す糸のもつれとは、先祖の後悔の束でありますが、私はその束を辿りこの身に結びを果たしました。
この身に宿り、繋がり、私は私自身のもつれ束を全て把握しております。
私自身のもつれは、私にしか解く技がございません。
私が開けても暮れても、先祖を思いやり周りへの労りに配慮を致しますのは、他でもなく私への尽くしでございます。
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どれだけ他人様に配慮を向けましても、全ては私の為でございます。
私は、生まれたい時に生まれるべき場所に自ら出て参ります。
目指しますは、根源へと収縮を果たし、全宇宙の再開と喜び、全ては平等なひとつへ戻るために致します。