未知 NaKi 道【奏白】SOUHAKU

生命がある意味を筆者なりに書き残します。私は見えない世を心に映し見える世をしっかりと眺めています。苦しみの無い世へと。

時々よみがえる遺伝子の遠い記憶。

最近ではまた、ふと、古い古い遺伝子の記憶を呼び戻しています。

記憶はとびとびに残り、人類が果てる前に起こっていた風景。
そして、果てる寸前に踏んだ大地の土。


私達は、争いにより星を枯らした可能性のある遺伝子を持ち合わせている可能性があります。

そして、現在の星に何らかの形で遺伝子を残し(隕石の衝突も内)今を迎えている可能性もあります。


記憶に残る感情。
それは「貴方と私はうり二つだ。決して敵などではない。信じ合いたい。」という地の底が抜け落ちそうな程の訴え。


私達は、地の枯れた後にも存在していました。

その地の土は赤茶色~黄土色。強い粘土質でもありません。サラサラなのに重い土。何故か固い石がありません。最後に踏んだ大地には草一本生えていませんでした。記憶では男でした。


果てる前、人々は飢えに苦しんでいました。
星全体が争っていた訳ではありませんでした。
今で言う、国と国の争いに似たような、人類の分類があったように思えます。


現在の星の昭和~平成の時代程から滅亡が始まっているようでした。

この星の大昔の人々は、記憶を予記し様々な予言を伝えて来たのではないかと思います。


以前枯らしてしまった星のように、この星を枯らさないように。

同じ期限で果てないように。果たさないように仕向け。


この星もまた、周期により選択をしなければならない時に踏み込んでいると日々感じます。


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今の星はまだまだ美しい。


遺伝子の記憶は、何故か、その星の重要な者だったように思います。記憶する遺伝子はその星の大気で生きていたように薄らと記憶をするのです。
果てる前、この星の宇宙服のような人物が現れたようにも薄らと記憶に残っているようにも思います。

もし、記憶が誤っていなければ、どのようにして遺伝子を継続したのでしょうか。

この星の宇宙人説と結び付く点もありそうです。