音とは何を指し示すのでしょうか。
音は聞こえるのでしょうか。
それとも、感じることにより聞こえる錯覚を起こすのでしょうか。
そして、聞こえる範囲を人は音と呼ぶのでしょうか。
象は超低周波音により会話をすることが解明されているそうです。
数時間前に、奥底の地盤がズレる音を察知しています。
爆音ではありませんでしたのですが、少し長い間ズレるような鈍い音を感じましたので表面のどこかに波打ちが伝わり地震に繋がる可能性を思いました。
中規模とは思いますが、少し長い範囲に渡る音のような感覚を受けました。
気になる域は日本列島中心より少し東北寄りに渡り広範囲です。
西まで響く可能性も感じます。
地表から離れた奥底からの音ですので数時間~数日かけて表面で動きます。
深夜から一週間以内を警戒します。
天才児が何故生まれるか。筆者の推理。追記あります。
筆者は性教育で、女性の体は月経から排卵に向けて子宮の中に栄養素をたくわえて、赤ちゃんを育てる準備をしていると教わりました。
しかし、筆者は月経が始まり終わると、体から汚れたものが一気に出てすっきりするような感覚がいつもあります。
筆者は、栄養素とは、不純物を敗退する要素のことを示していると思います。
そして、個々の貯えた不純物に対する栄養素が十分に補わえられた状態で受精が成立することにより、時に天才児と呼ばれる正式な順序を得た個体が発生すると思います。
人が嫌だとか、辛いとか、苦しいなどと思うことは当たり前のことです。
誰もが足りないものを補おうとすることは、順序であるからです。
誰もが誰もの思いを痛感し、いずれは誰かの思いは私の思いであったことに気づくまでは、誰もが人生におきツラミ、クヤミを身に受けます。
陰陽の両立とは儚いものですが、我々はその儚さを腹一杯に食べられないからこそ存在する命です。
筆者の思いが、この文章で伝わりますでしょうか。
追記です。
計算をします。
これより先、地球の破滅を護るための働きが強くなり、天才児が生み出される頻度が上がってくると予想をしています。
しかし、現在の食の状況では無駄な排出作業が間に合わない状況にあるかと思います。
そうなれば、物質的反動としまして、今後食の供給にひとつ難が起きる可能性があります。
これを難無くするための解決がひとつ必要となります。
筆者なりの言葉では、質素・腹八分目は体に良い影響がある。としか言葉としては置き換えることが出来ません。
無駄を入れればそれを出す栄養素が必要であり、非常に大食らいになります。
肥満が増えているのもこのような影響が裏にあるかもしれません。
ともかく今は、無駄な物を排除しようとする働きが非常に強い段階と思いますので今後の影響を避けることが出来ればと思います。
筆者の日常。節分前。
数日前でしょうか。
突然豆を煎って玄関の榊の下にお供えしたくなりました。
筆者は、自分が行いたくなる行動の理解を得る為に、自分の行動を見守っていました。
今朝です。
また、豆を煎りたくなりました。
煎った豆を熱いうちに、先日供えた豆と入れ替えました。
冷めた古い豆は容器に入れ、誰も触らない高い場所にしまいました。
ん?
これは?
そろそろ節分が近づいていますが、何か関係があるのかな?
まだ、先はわかりませんが、豆まきの真相がわかりそうな動きになり始めています。
せっかくですから長く生きましょうか。
命すべては、互いが互いを必要とするからこそ保ちます。
腹一杯食いあさったあげくに「もうこれ以上要らない」という言葉を下す程の侮辱を与えないで頂きたいと願います。
私達人類のように、他の星で生命を保つ仲間達への侮辱として当たり返ります。
腹八分目に質素に頂いた命が私を生かすのは、私が「美味しかった、有り難かった、また食べたい」と思うからです。
寿命、命とは互いに保ちあった結果として表現もされます。
しかしながら、胸に思い上げて頂きたいことは、私は貴方であることです。
私の中に生きる貴方が十分に煮え切らなくては、私の寿命もやはり大幅には保ちません。
だから、私がするべきことは、私を透し貴方の内を私と同一にすることです。
寿命とはこのようにして保ち、又、命とはこのようなものです。
昨日の追記。
昨日、質素にと書きました。
何故質素にする必要があるのかとの問いを受けていますので追記します。
見える世で余りばかりを出せば、片割れ見えない世ではそれを片付ける役割が働きます。
シマツが悪ければ片付け役が増えます。
要は「エサを与えなさんな」ということです。
エサが増えれば見えない世で片付け役はいくらでも繁殖します。
反映され見える世で起こることはマグマの活発化や戦闘などの悪戦です。
見える見えぬが連なり歩いていることを重々に見極める必要があります。
筆者の場合はこのようなミスを重ねることも命取りになる使命ですので日常はかなり事細かい方だと思います。
お皿に残る食べ残し(油や汁も含む)は一度水を容器に少量入れてバケツに移し野外の大きな容器に貯めて畑に戻し、育った野菜たちを有難く頂く循環も日常に組み入れています。
見えぬ世の片付け役が寄ってきても、余り物など我が家にはないことを常に見せています。
今後、肉眼には見えませんが、このようなシマツを重ねるか重ねないかにより栄えるか絶えるかにも変化が起こること思います。
重々に。