本当の私と神様
人は地位や名誉を貪る間はまだ殻の中におり、私の本当の姿を知ることが出来ません。
しかし人は、現段階、段階の姿を私であると勘違いをします。
私が私であることを鏡に写している間は、私を探すことなどはできません。
自身を超えて私を見つけた時、私は鏡の中には存在せず、私は鏡から反射する光の中で自身を見つめていることを知ります。
そう成り、その時に人は初めて私自身を受け入れ、応援することが出来始めます。
鏡の中の私を見つけている間は誰もが本当の私を見つける事ができません。
真理を秘める神様が隠れて見えない真相はここにあります。
神棚の円い鏡を磨くように、自身の心を磨くことが出来れば真に幸いです。
家族円満。
ここが居心地の良い場所であれば、その場の色に染まります。
そして、居心地の良い場所をスタートに新たな設計を誰もが考え始めます。(新たな愛へ向かう知恵)
好かれたいなら、好かれる事が先です。
出来上がった私の中に、入ってもらう事が基本的な動きです。
うまくいかない家族など存在しません。
真理から外れていますと、難が出ます。
分岐地点。
筆者はホールは二つ存在すると考えています。
陰があれば陽があります。
表と影。
十字の裏には正確に交差する更なる十字があると考えています。
どちらも互いを支える為には欠かせない存在です。
悪いものを見て良いものが育ちます。
宇宙は渦を巻いて流れている事を感じています。
どちらに吸収されるかは、今の私達にかかっています。
貴方はどのように成りたいですか。
私達は繊細な記憶の一部に成ろうと日々の難に立ち向かいます。
難は幸であることを知ることが大切です。
今経験している現実はやがて、今まで積み重ねた記憶と統合します。
私達は、大きな視点から見れば、一切の無駄等ない平等を保っています。
ただ、平均ではない為に平等ではないと感じているのが現在の社会です。
私達は統合された記憶を胸に抱いています。
その記憶という知恵を、どのように開花させるかは個人に托されています。
今貴方は何をしますか。
そしてどのような一部に成りますか。
愛は共通しています。
真理の形とは、神様の細胞のひとつひとつに刻まれた基本的な式です。
その粒子(ひとつぶ、ひとつぶの私達)とはとても小さい存在ですが、この物質社会も小さな小さな生物の生態が整っているからこその人類です。
小さな物を粗末にしてはいけません。
大きな物を馬鹿にすることもいけません。
私を小さいと思い込んではいけません。
私を大きいと勘違いすることもいけません。
私達は忘れてはいけません。
貴方は私であり、私は貴方です。
そこに共通するものは、愛しかありません。