せっかくですから長く生きましょうか。
命すべては、互いが互いを必要とするからこそ保ちます。
腹一杯食いあさったあげくに「もうこれ以上要らない」という言葉を下す程の侮辱を与えないで頂きたいと願います。
私達人類のように、他の星で生命を保つ仲間達への侮辱として当たり返ります。
腹八分目に質素に頂いた命が私を生かすのは、私が「美味しかった、有り難かった、また食べたい」と思うからです。
寿命、命とは互いに保ちあった結果として表現もされます。
しかしながら、胸に思い上げて頂きたいことは、私は貴方であることです。
私の中に生きる貴方が十分に煮え切らなくては、私の寿命もやはり大幅には保ちません。
だから、私がするべきことは、私を透し貴方の内を私と同一にすることです。
寿命とはこのようにして保ち、又、命とはこのようなものです。
昨日の追記。
昨日、質素にと書きました。
何故質素にする必要があるのかとの問いを受けていますので追記します。
見える世で余りばかりを出せば、片割れ見えない世ではそれを片付ける役割が働きます。
シマツが悪ければ片付け役が増えます。
要は「エサを与えなさんな」ということです。
エサが増えれば見えない世で片付け役はいくらでも繁殖します。
反映され見える世で起こることはマグマの活発化や戦闘などの悪戦です。
見える見えぬが連なり歩いていることを重々に見極める必要があります。
筆者の場合はこのようなミスを重ねることも命取りになる使命ですので日常はかなり事細かい方だと思います。
お皿に残る食べ残し(油や汁も含む)は一度水を容器に少量入れてバケツに移し野外の大きな容器に貯めて畑に戻し、育った野菜たちを有難く頂く循環も日常に組み入れています。
見えぬ世の片付け役が寄ってきても、余り物など我が家にはないことを常に見せています。
今後、肉眼には見えませんが、このようなシマツを重ねるか重ねないかにより栄えるか絶えるかにも変化が起こること思います。
重々に。
つかいの訪れ。幸成るか?
年が明け、何やら我が家では気配を感じており、それが何か何かと思っておりました。
昨日、玄関の隅を見ていますと、今までにない違和感がありました。
これは何か?と深い視線で透しておりますと玄関隅の底から2メートルくらいの辺りに生い茂る森が見え始めました。
おや?
と、思いながらも昨日はそのまま放置していました。
今日、同じ場所を見ましたらやはりその光景は消えておらず、逆に、そこに森を作りたい気持ちに至り庭に自生している榊を束にして神棚の榊のように置きました。
何故かその横には赤い花が良く似合い、壁掛けの花を吊しました。
何故か、お供えするならば大豆が似合うと感じました。
あれあれ?
ここで初めて気づきました。
狐がおつかいを始めていることに…
いよいよ本格的に動きが始まると思います。
何事にも質素を心掛け、循環させ、無駄を出さない努力が必要です。
世界情勢も大地の動きも急速に加速すると感じます。
身構えが必要になりました。
今年からは感謝を忘れない日常に。
昨夜は、何かをすべきだと胸に詰まっており、今生には経験のない行動を起こしました。
だいだいのないお鏡と盛塩・日本酒を白いお皿に載せて玄関の台の上にお供えをしました。
胸内、イメージ的にはサンタクロースに牛乳とクッキーをプレゼントする感覚です。
何故か、神様まわりが始まると思いました。
自分達だけがぬくぬくと居ることに頭が上がらない気持ちに襲われました。
せめて、このくらいは…という気持ちで起こった行動に違いないとは思います。
塩は、おまわりいただく神様に、お酒とお餅をきちんと差し上げる意味で黒物に突かせないために盛ったと思います。
昨日は田舎に戻っていました。
食卓に鯛のお刺身が並びましたが、鯛の頭部が流しに無残に落とされている姿を見て心で「何も知らないのだから勘弁してくださいね」と謝りました。
最近では肉質なものを口にするだけで、猛烈な感謝心が溢れます。
何かが急速に進んでおり、それに人類は駆け足でついて行こうともがくのだろうと思います。
変化についていけないことが発作とりて悪的な行動を引き起こします。
無事に、と思います。
今年は前夜、クリスマスイヴです。
私と貴方は紙一重であること。
今日は久しぶりにゆっくりと形を変えながら、ゆっくりと流れる雲を見ています。
最近の雲は分厚く形を変えない流れない雲か、瞬時に形を変えて流される雲が多く気持ちの安らぎを感じることがりませんでした。
天気とは不思議のように表情が現れます。
大自然は皆を良く知っています。まるで鏡です。
今日は日本のたくさんの方々が、きっと安らいでいるのだろうと嬉しく思います。
私も少しゆっくりとしたお正月が迎えられそうな気がします。
半面、地下深くでは万年前の動きがじわりじわりと移動を開始しているようです。
力は想像が出来ない大きなものです。
この力と動きは今後の大地形成に大きく関与していきます。
来年、再来年が山場だと思います。
いつも有難うございます。
本当に自分を愛する。
人は嫌な経験を乗り越えるほどに、私に対する安心感を覚えます。
そして、私に与えた安心感は死後も継続し次なる私の支えとなります。
私達は嫌な思い(経験)をすることにより、元に戻る(言葉では成長と言う)ことが出来ることを本能で知っています。
これを素直に行えるほどに、霊性が高くなります。
気をつけるべきことは、嫌なことを行えば成長できると勘違いし、悪運をリピート再生させてしまう現象です。
これを、大地の動きに例えれば地震となります。
最近、内職のために、可愛いレディーのマネキンヘッドを作ろうとしました。
しかし…その顔の凹凸が手に馴染まず、途中から自分の馴染む顔を目を閉じた状態で作ることへの安心感を感じ始めました。
マネキンの顔を見ず、後方から手探りで数ミリ単位の違和感を感じながら見たことがない顔が出来上がりました。
しょうもないですが。。その顔をツイッターでアップしました。
出来上がった顔とご対面した時「うあ!!何これ!おっさん?おじいさん?何人?まぶた出てる!!リアルこわい!!」と思いました。笑汗
けれど、目を閉じた私はこの顔質が今の顔よりも手に馴染み安らぎを得ます。
きっと、今まで生まれた中でも最大に苦労をして、その苦労を真面目に受け乗り越えた顔質だからだろうと思います。
たぶん、幾度作っても目を閉じればこの顔が出来上がるはずです。
ここで反省も出ます。
筆者はこの頃の人生に上回る現在苦労をまだまだ熟していないということを知ります。
これでもまだまだ足元にも及ばないならば、今後の苦労を息をのむほどかも知れないことを感じました。
まだまだ、安心への至りがこの先で待っているのかも知れません。
自分を愛する意味を深く知ったように思います。