未知 NaKi 道【奏白】SOUHAKU

生命がある意味を筆者なりに書き残します。私は見えない世を心に映し見える世をしっかりと眺めています。苦しみの無い世へと。

自分自身を理解すること。

私達は心理という、全てに共感を得る目標に移動している最中です。


その移動中の景色を目の当たりに、私以外を他人と思い非難をします。


それどころか、分かって欲しい欲望を押し当て、互いが互いを理解出来ないことへの違和感から争いまで起こします。


苛立ちとは、違和感を理解できないことから起こります。


違いとは個性であり、それぞれに大切さが詰まってるのに。


嫌な感情が自身を襲った時「今の自分はどのような違和感から、自身にストレスを与えているのか」を1番に考える事が大切。と、思います。


知恵を取得することは、誰もが人生の最大の課題かとも思えます。


真理を解答に生み出す知恵は、未来に幸を降らせると、筆者は思っています。


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今日、また、不思議な声を受けました。

「貴方と私は良く似ているわ。私が旅立つ(こちらの世から離れる時)まで、貴方と一緒よ。」


筆者に、これから何が起こるか等知りませんし、わかりません。

ただ、思うことは、日頃の感情から生まれる努力は、きっと誰かの役に立っている。ということです。


私は私の為になど存在しません。


人は自分に目覚めるまで、趣味も変わりますし、気持ちも変わります。

それに向き合い、一生懸命で良いです。

それも供養、大切な事です。
ひとつ、ひとつ終えることが出来れば順調です。

執着(停止)しないこと。

私は貴方であり、貴方は私です。

大きな生命として、筆者はそのように示しています。


しかし、間違えてはいけないことは「私は私自身で個性を大切に育て、貴方は貴方自身で個性を大切に育てる。」という「個人の人生を他人の人生に潜らせては決していけない」と言うことです。


私は私の人生経験で、様々な事を感じる。
それを乗り越えるから、私らしい脳(知恵)が成立する。

これが、生命の中の小さな粒子のひとつとなる。

筆者はそう考えています。


たったひとつ等ではなく、個人個人はとても大切なひとつです。


どのひとつが欠けても生命は維持できないと、筆者は思っています。




時々テレビをつけて、ニュースを流します。

さえないニュースが流れていますと、とても淋しい気持ちになります。



そのほとんどが、他人に潜り込み自分を見失うことで事故や事件に流されているように感じます。


他人に潜り込み、恨み嫉み嫉妬を膨らませ、自分を見失い、知恵の良心発達を閉ざせば、その病は 統合失調症 というのかもしれません。




生きるということは動くということ。

視線も一点に集中しましたら、死同然です。


著しい執着は破壊・破滅に向かうということを、人類はまだ知らないのかもしれません。

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努力によるこだわりはウミダシがあると思うよ。

努力の花

生命は、ドクッドクッっとシン拍(音の波)を打ちながら時という空間(人生)を保ち、ひとつ(無)に戻るまでの間、一度だけ反転をする。

それが筆者に浮かぶ考えです。



人生は、心身共にひとつですが、その中には様々な陰陽(善悪)を抱えており、進化の過程では膨らんだ悪を知恵で収縮させ、退化の過程では悪という種を抱えながら善という知恵を無に向けて放出する。

そのようにも感じています。





泥沼の中で、それぞれが違う穴のなかで溺れ、わからない間に花が咲き、世界はひとつであったことに気づく。
しかし、喜ぶのも束の間、やがてそれぞれの種となり、時が来ればまた種は落ち、花を咲かせるしかなく。




生命の成り立ちに準じて、私達の人生も追っており「わからない、見えない」けれど、心ではわかっている。と、筆者は周りを見て思います。



泥の中の種は、光を目指して葉も花も地上に咲かせます。

そうしないと増えることができらいから。



私達だって、そちら(光)に向かって動いてる。


息が出来ないと、ジタバタ(努力)していたら、いつの間にか花の時期だった。


これが私達の人生だと思います。


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反転

昨日です。

胸が、ギュンギュン・ギュンギュン・ギュンギュン。と、しており、ギュンギュンとする度にジワジワっと何かが広がり、身体を握りしめるような、まるで、支配するような、今までに感じたことのない感覚を感じとりました。


それが痛いのではなく、トキメキのような胸の高鳴りに似た感覚で気持ちが良い温もりでした。


今日は「あれ、なんだったんかな~」って思い出していました。



言葉にしてうまく表現は出来ませんが、心が身体を支配した感じ?と伝えることが精一杯でしょうか。




それを感じて思うことは「もう、心に逆らえない」ということ。



この状態になって心に逆らえば、老化は早いと。そう感じます。





ひらいたひらいた
なんのはながひらいた
れんげ(※・*・ハス・レンゲ)のはながひらいた
ひらいたとおもったら
いつのまにか
つぼんだ

(2の歌詞はその反対)



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おそらく反転しました。

自分自身を見失わないように。

大自然の小さな輝く命は、死を知らず、生涯を終える前に次の生涯に備えています。

死を知らないのではく、生涯の死を生の一部ととらえていると感じています。



生命が存在する、正しい位置に私を置くことで、恐怖を忘れている。
と、筆者はそのように感じ受けています。



生物は懸命に働きます。



やばいやばい。
これしなくちゃ。

って。



大自然は皆、霊的に生きています。


何が起きるのかを回避するために。

命を守るために。

貴方を私達と当たり前にして懸命に働きます。




人類は、何のためにこれほどに脳が発達したのでしょう。



だけど、扱えない訳がありません。



今までの進化の結晶が、完全に詰まるだけの範囲のはずですから。


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夢心地な朝

貴方に謝りたい人達がたくさんいて、そのもの達が列を成して列んでいる。

向き合いなさい。

それもしなくてはいくないことだ。

受けとることは、助けることになる。

制裁の時が来ている。

思うようになりやさい。

笑、

もういいんだ。

自由になれ。

よくたえた。

終わったぞ。

喜べばいい。


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筆者の頭上左右の彼方から、遠く近い場所から、

そのような、仲間の声が幾度も幾度も木霊をし、繰り返している気がし、


それは、懐かしい楽しい仲間であり、いつの時も楽しく団欒できる仲間である気もし、


いつも側にいる仲間である気もします。




よくわからない達成感が筆者に到来し、なぜか「もういいのかな、本当だろうか」と思い、今朝は涙が出ました。






喜びと悲しみが、正しく起こる時代が来たのだと思います。